夢の残照
          風野 旅人


 それは夢?
 あれは現実?

 …ではこれは?

 夢とも現実ともつかないこの場所を、今宵も少女が舞う…


 第3話 陽光が照らす雲

 …という訳で、あたしは雲の上にいた。
「ふっふっふ…流石に二度目となると早々驚かないわよ!」
 コブシを突き上げ、勝ち誇ったように叫ぶあたし。
 しかし、あたしの叫びは青空の中に消えていった。
 取りあえず周りには誰も居ない。
 あたしの足の下には、一面に雲が絨毯のように敷き詰められている。
 上を見上げたあたしの視線の先に、雲を白く浮かび上がらせている光源、太陽が照りつけている。
 頭上は雲ひとつ無い蒼い空。
 今回もとりあえず飛べているようである。
 理由はいまだ良く分かっていないけれどね…
「…でも、ちょっと感覚が違うけど…」
 浮いていると言うより何かに乗っているような感じがするのだ。
 あたしは足下の雲を踏みしめてみた。
 ぼよん、ぼよんとした感覚があり、トランポリンとまでいかないけど、マットレスの上を歩いているような感じがする。
「やっぱり…今は飛んでいると言うより、この雲の上に立っているようね…」
 雲は地平線…と言うべきだろうか?…の彼方までどこまでも続いている。
 前回の様に夜ではないので、その広さを確認することができる。
「…で、問題はどうするかよね…」
 あたしがこの世界を出るには、何らかの方法で驚いたりするか、美琴ちゃんが目を覚ますかのどちらかの方法になる。
 …と、あの男から聞いているが…
 少なくとも現状では前者はボツ、一人でどうやって驚いたらいいのやら…
 後者は待っていればそのうち勝手に終わってくれるはずだが…
 平穏無事を望む平和主義者のあたしとしては後者を切実に望んでいる訳である。
「取りあえず『美琴』が現れない限り、ただ待っているだけでいいし…」
 あたしはその場に寝転んだ。
 夢の中で寝るというのも変な話だが、あたしの背に敷かれている雲はふかふかして気持ちがいい。
 このまま眠れたら最高なんだけどな…
 さすがに寝る訳には行かないので、青く澄み切った空を眺めながらぼーっとしていた。
 雲一つない、只々青いだけの空だけれども、それでも普段見られない蒼穹…
 …青くてとても綺麗な場所(ゆめ)だけど…なんで美琴ちゃんは、この世界に閉じこもったりするんだろう…
 昨日見た夢も、空に星の輝きと眼下に広がるイルミネーションに彩られた美しい光景…
 男は言っていた。
 夢の中で『美琴』に会わなければ、次の日から現実の美琴ちゃんは目覚める事が無い…と…
 では、そのとき『美琴』は夢の何処にいるのだろうか?
 それよりも何故目覚めないのか?
 疑問は尽きないほどあるが、現状何もできないあたしはじっとしているしかない。
 あの男の心配をするわけではないが、のこのこと『美琴』の前に出て前回のように足手まといになるのはあたしのプライドが許さない。
 …いっそのことあたしも反撃しちゃえばいいんだろうけど…
 と言ってもいまだこの世界で自分の思ったとおりになったためしがない。
 あたしから攻撃を仕掛けるには、まず想像力をうまく働かせるようにしなくてはならないでしょうね…
 あの男は、あたしは意志力のみで力を使っているのだろうと言っていた。
 もちろんそんな意識はあたしの中にないのだから、無意識で力が働いているのでしょうけど…
「…まあ、『美琴』に会わなければそんな必要は無いけどね…」
 溜息をつきながら空を眺めるあたし。
 そのまま空を眺めていたが、しばらくすると飽きてきたのか、急に眠くなってきた。
「ふぁぁ〜… 眠い…」
 夢の中で寝たら、その中でも夢を見る事があるのだろうか?
 そう言えば以前、起きたらそれが夢の中で、再度起きるとまたそれが夢の中だったと言う事があった事がある。
 夢のまた夢…遠く叶わない事を指す言葉だが、その言葉が意味が違えど良く表わした言葉だと思う。
 普通なら、このまま寝たらぐっすりと気持ち良く寝られるのは確かだろうけど…
 …と考えていたのもつかの間、あたしは本当に眠りに就いてしまった。
 やっぱり雲上で寝ると言うのは気持ちがいい…
『…すけて…』
 その時、かすれた声が聞こえたような気がした。
 しかし、半分眠りについていたあたしには、空耳としか受け取れなかった。
              
『…たすけ…』
 また、声がした。
 あたしの耳元というより、頭の中に響いているような…
『…たす…』
 …助けて…?
「……い」
 しかし、そのか細い声は、耳に届いた別の声にかき消されてしまった。
「…おい、こら」
 この声は、あたしを呼んでいるのだろうか?
 頭の中が霞がかかったようにぼんやりとしていて、頭が回らない…
 でも、聞き覚えのある声だ…
 確かこの声は…
「起きないなら最後の手段に出るぞ…」
 声の主が警告を発した。
 …最後の手段…?
 あたしの思考はまだハッキリしていない。
 それでも何とか、薄目を開ける事が出来たあたしが見たものは…
  夏至(げし)っ!
 次の瞬間、あたしの眼前にあった顔にアッパーカットが炸裂した。
「きゃああああー!」
 あたしの拳は叫びより早く、その見知った顔を弾き飛ばしていた。
「…ぐはっ 避けられなかった…」
 顎を抱えてのたうち回るのは言わずと知れた、シスコン兼婦女子の敵…美琴ちゃんの兄の男であった。
「きっ、貴様ぁ〜! 一度ならずとも二度までも…その腐った性根を叩き直してやるぅ〜!!」
 あたしは一気に叫ぶと、のたうち回っている男の首根っこを引っ掴む。
「やっ、やあ… 奇遇だねこんなところで会うなんて…」
 やたらと白々しいセリフを吐く男。
 そのやたらと軽薄そうな態度に夕方に見た男とは別人ではないかとさえ思った。
「…可憐な少女の寝込みを襲うなんてぇ…! 天が許してもこのあたしが許さぁん!」
 男の態度に完全にキレたあたしは、そのまま襟を締め上げる。
「くっくるしひぃ… ゆ、ゆ…るし…」
 口をぱくぱくとさせて許しを請う男。
「誰が許すか〜!!」
 あたしは更に力を込めて首を捩じ上げる。
 だが流石に白目を剥きそうになった所で、あたしは襟を緩めた。
 こんな奴でも死んだら寝起きが悪い。
 …まあ、女性の敵を早めにしばき倒しておくのも良いかもしれないけど…
 あたしが襟を放すと、男は首を押さえて一息つく。
「た、助かった…本当に死ぬかと思った…」
「当たり前よ。殺意を込めて締めていたから」
 あたしの言葉に男の顔が青ざめている。
 多分冗談に聞こえなかったのだろう。
 当たり前である。冗談じゃないんだから。
「…で、あんた、なんでこんなところで乙女の寝込みを襲っていたわけ?」
 おもむろにあたしが尋ねる。
「…誰も襲っていな…」
「……」
 ジト目で睨めつけるあたしを見て沈黙する男。
「…いやぁ、美琴を探していたんだけど、これがなかなか見つからなくて… で、この雲の上を通りかかったら、君が寝転がっているのが見かけたから声を掛けようとしただけ…」
「…ほほう…あんたの声をかけるってのは、ああいうことをすることなのね…」
 あたしはいまだジト目で男を睨めつけていた。
「…俺を変質者を見るような目で見ないでくれ…あきらちゃん…」
「真っ当な人間はああいう事はしない!」
 困ったように呟く男に一喝するあたし。
「はっ、はい!」
 気を付けの姿勢で返事をする男。
「大体! なんであんたなんかに『あきらちゃん』なんて呼ばれなきゃならないの!」
「いや、そう呼んだほうが親しげに聞こえるかなぁっと……」
「あんたなんかと親しくなる気は毛の先ほどもなぁぁい!!」
 そこまで叫んであたしもなんだか疲れてきた。
 なんでこの男、こんなことばかりするんだろう…
「全く… 美琴ちゃんはあんなに素直でいい子なのに、なんでその兄がヘンタイシスコン男なんだろう…」
 ため息交じりで首を振るあたし。
「…シスコンの上にヘンタイ…」
 実はショックだったのか、男はぼそぼそと呟いている。
「…で、『美琴』は見つかって無い訳ね…」
 ため息混じりに呟くあたし。
 男は『美琴』を探していたと言っていた。と言うことはまだ見つかっていないのだろう。
「ああ」
 男は首を縦に振った。
 その男の背にはあのときのように一対の翼があった。
「そう言えば、夕方の時はあんまりよく聞かなかったけど、この翼ってイメージなんでしょ?」
「そうだよ」
 男は翼を揺らしながら答えた。
「この世界は、夢は夢でも妙に現実感があるだろう?」
 男の問いにあたしは頷く。
 確かにこの世界、夢の世界という割にはやたらと現実感がある。
 大体、普通の夢の場合はあまり自分の意志というものがあるように感じられない。
 只、流れている話に身を任せているだけという感じがする。
 でも、この世界は違う。
 不思議なことが起き、起こせるというのに非常に現実感があるのだ。
「その現実感のため、自分が空を飛べるという想像がうまくできない。そこでそれを補うために翼がある自分を想像し、自分が飛べるような感覚を大きくしてるんだ」
「それじゃ、あの呪文みたいなのは、翼を想像するための補助をしている訳ね…」
「そーいうこと」
 男は頷くと、雲の地平線の先を見つめる。
「…それにしても、美琴の奴どこに居るんだ…?」
 疲れたように呟く男。
「…結構…というか、かなり広いけどここ…」
 あたしは周りをぐるっと視線を巡らせる。
 先ほどと変わらず果てしなく雲の絨毯が敷き詰められている。
 切れ目一つすらも見当たらない上に、透けるほど薄くも無いので、この雲の下が何であるか伺い知ることもできそうにない。
 こんなだだっ広い場所でも『美琴』を見つけられるのだろうか?
「当てもなく探し回るしかないの?」
「大抵はそう。まあ、たまに夢に入った途端、目の前に居たときもあったけどね」
 男も自分を中心に凝らした視線を周囲に向ける。
「そういう意味では、今夜は手強そうだな…」
 あたりに向けていた視線をあたしに移し呟く男。
「ほんと、一面雲と青空しか無いわよね…」
  ずぼっ
 視線を再びあたりに向けようとしたあたしは、何かが穴から飛び出すような音を聞いた。
「今の音なに?」
「いや、俺じゃない」
 男もその音が聞こえたらしく、首を横に振る。
 あたしはその音が聞こえてきた方向を振り向いたが、そこには雲が火山の噴火口のように突き出している場所があった。
「これ…なに?」
 少し近寄ってみると、子供が作った大き目の砂山程度の大きさがあるその雲の山の中心には、人が通れそうなくらいの穴が開いていた。
「何かが飛び出してきた…」
「何かって…何が?」
 男の言葉は何かの確信を持っていた。
 それを問おうとした時、わたしの耳にまた音が聞こえた。
  バサ……
 羽根と羽根が擦れたような音が耳に届き、あたしと男を覆うように黒い影が落ちる。
 先ほどまで太陽が照らし続けていた雲の上の絨毯に、あたし達の居る部分だけが影が浮かび上がっていた。
 あたりが白い雲のためか、その影だけが異様なほど鮮やかに雲の上に黒い穴をあけている。
「え!?」
「!?」
 男とあたしはほとんど同時に頭上を見上げる。
  バサァァ…
 そして、無数の白い羽根が舞い降りる…
 そう、そこにいたのは…
「ここふぉ」
 男があたしの口を強く塞いだ。
 当然あたしの声はかすれたようになり、『美琴』まで届かない。
「大声を出すな! まだ、『美琴』がこっちに気が付いたとは限らないんだぞ!」
 あたしの耳元に潜めた声で叱咤する男。
「…だって…」
 緩められた手の中から呟くあたし。
 よく見ると上空の『美琴』はあたりをぐるりと見回しているようだけど、こちらに気がついている様子は無かった。
 それがほんとなのか、どうかはわからないけど…
 そして、また昨日の夢の中のようにその場で踊りだしていた。
 その背から生える翼からは、無数の白色に染まった羽根が、陽光を浴びて輝きを放ちながらあたし達とその足元にある雲の地面に、降り注いでいた。
 まさに夢の中の光景……
 しかし、その神々しき天使の舞をうっとりと見つめているような余裕は今のあたし達には無い。
「…どうするのよ…」
「…どーするのよ、って言われてもな…」
 心底困った顔でつぶやく男。
 …ところで…
「いつまで抱きついてるのじゃ! おのれは!」
  がすっ!
「おぐっ!?」
 思わずあたしは後ろにくっ付いていた男のあごを下から握りこぶしで突き上げた。
 先ほどあたしの口を塞いでから男は、あたしをうしろから抱きしめたままだった。
 それよりも、口を塞ぐだけで何で抱きつく必要があるのよ!
 …まったく… 油断も隙もあったもんじゃない…
 しかし、それはもうちょっと状況を考えてやるべき行動だったということを次の瞬間悟った。
 今の男のあごを砕く(注意・砕けていません)鈍い音と、あたしの叫びは、当然辺り一面、空まで届く…
  シュン…!
 風を斬って何かが急降下する音…
「あっ、ヤバイ…」
 あたしと男の目の前には、雲から1mほど浮きながら…
「『美琴』…」
 その浮いている者をみて、あたしと男は殆ど同時にその名を呟いていた。
 『美琴』はその微笑をあたし達に向けていた。
「…なんてことなの… こいつのせいで見つかるなんて…」
「責任転嫁している場合じゃないぞ…」
 目の前まで降りてきた『美琴』の手の中には、昨日の夢の中で、銃やら霊光弾やらに変化したあの赤い光を放つ糸が絡まっている。
 あたし達の目の前で、『美琴』はその赤い糸を絡ませた右手を指を鳴らすように振った。
 するとその赤い糸は宙に融けてゆくように、その背景の青空の中に消えてゆく。
 …なにをする気…?
 そして、空に漂う美琴はおもむろに左右に腕を広げると、空を仰ぐように身を仰け反る。
 まるで天使が空へ歌声を飛ばすように…
 …が、美琴から生まれたのは歌声では無かった!
 あの赤い糸のような赤に染まった細長い閃光が無数、背にしている空から浮かび上がる。
 多分あれは…
「…なんかやばそうなんだけど…」
「かなりやばい」
 冷静にうなずく男。
(お願いだかられーせーにうなずかないで…)
 美琴はそらしていた背を伸ばし、再びあたしたちを見据える。
「ど、どーするの!?」
「決まっている」
 おもむろにあたしと美琴から背を向ける男。
「逃げる!」
 男はあたしの腕を引っつかみ、そのままその場を駆け足で離れる。
「またなの!? また逃げるしかないの!」
 あたしの叫びが、目の前からくる風に流されてゆく。
「しょうがないだろう! あんた引き連れたままじゃ戦いなんか出来るわけ無いだろう!?」
「…たしかに…」
 非常に情けないが、結果的に男の足を引っ張ることになってしまっている。
 この前の霊光弾はなんとか避けられたけど(最後は除く)…今回のは弾じゃなく…
 その時、あたしの目の端を掠めるように赤い閃光が走りぬけた。
 間違いなく拡散レーザーだ!
 次々とあたしと男の横を赤い尾を引きながら光が走りぬける。
 あたし達からそれた閃光が雲の地面に突き刺さってゆく。
「ひょぇぇぇぇー!」
 妙な叫び声を上げながらあたしと男が雲の上を疾走する。
 『美琴』本人はその場から動いた様子が無い。
 しかし、その背からは次々と赤い閃光が浮かび上がっている。
「ちょっと! なんとかしなさいよ!」
 あたしは横で並走している男に怒鳴る。
「なんとかって、何とかしたいのは山々なんだが…」
 男は折り畳んだ羽根を揺らしながら呟く。
 そうしているうちにみるみる赤い閃光の密度が増している。
 これでは昨日と同様、遠からず直撃は免れない…
 もしあたったら…
 …死にはしないが恐らく一生原因不明の眠りから覚めなくなる可能性がある…
 昼間この男が言っていた言葉が鮮明に脳裏に浮かぶ。
 首筋に冷たいものが流れるのがはっきりと感じられる。
 冗談じゃない!
 こんなことに付き合わされて、一生を棒に振る気なんてこれっぽっちも無い!
 あたしは、一歩でも多く『美琴』から距離をおく為に、さらに足を早める。
 未だに掠めることも無いが、赤い閃光は『美琴』から放たれ続けている。
 この赤い閃光、ある程度カーブを描くところから誘導が効いているみたいだけど…
 その時、あたしの本当に真横を閃光が走り抜けた。
 その瞬間、あたしの視界が真っ赤に染まり、思わずその場に立ち止まってしまう。
「っつ… 眩しかった…」
「危ない!」
 立ち止まったあたしに、少し先を走っていた男が覆い被さって来た。
「え…」
 あたしと男は雲の地面に倒れこむ。
  ざしゅっ! ざしっい!
 抉れ獲られるような生々しい音が耳を打つ。
「ぐっ!」
 目の前にある男の顔が苦痛に歪む。
「だっ、大丈夫!?」
 あたしはそのまま大声で声を上げる。
「ちょっと掠めただけだ… もっとも翼を二つとももっていかれたけどな…」
 男は直ぐに起き上がると、先ほどまで一対の翼があった場所を後ろ手に指差した。
 その場所には片方は翼の残骸と、もう片側は抉られて血まみれになっている背中があった。
「こ、これってちょっとどころじゃないじゃない!」
「たいした事は無い…」
 そう言って地面にへたり込んでしまっているあたしの手を取り、再び駆け出そうとする男。
 しかし、あたしはその手を逆に引っ張り、男をその場にとどめる。
 まさか、あたしが引っ張ると思っていなかったのかバランスを崩して、男は背中からあたしに向かって倒れこんできた。
「って! な、何をするんだ…!?」
「黙りなさい! 手当てをしないと不味いじゃないの!」
 あたしは地面に倒れた男に耳に向かって叫ぶ。
「そんな暇は無いだろう? それに此処は夢の世界だ… これは現実には傷にならない。ただの痛みの想像… だよ…」
 そういう男は痛みが断続的に響いているのだろう… 露骨に顔をしかめて声を絞り出していた。
「でも…!」
「こうしているうちにも… 来たぞ!」
 男は再びあたしに覆い被さるのと同時に、あの赤い閃光が真上から降り注いできた!
「ど、どきなさいよ! また、あなたが…」
 あたしが言うのもかまわず男はあたしを守るために覆い被さりつづける。
「…こっちの都合で巻き込んでいるんだ… これくらいさせろ…」
 痛みをこらえながら呟く男。
 ふと、閃光の雨が止む。
「…運良く、当たらなかったな…」
 男はあたしの手を引っ張り上げる。
 今度はあたしも素直に立ち上がった。
「…あ、あの…」
「…ん?」
 既に男はあたしを引っ張りながら、駆け出している。
「ありがとう…」
 あたしは素直に礼を言った。
「…気にしないでくれ…」
 男は少し驚いたような顔になったが、それだけ言って再び走り始める。
 …ヤな奴だけど悪い奴じゃないのよね…
 雲の上をひたすら走り、『美琴』から大分距離をとったつもりだけど…
 何せこの雲の上は、広い上に真平らなので位置を推し量ることが出来そうな特徴が殆ど無い。
 まっすぐ走っているつもりでも、どこかで曲がっている可能性も否定できない。
 もしかしたら『美琴』のまわりを回っているだけで殆ど距離がとれていないということも考えられる。
 しかし、今のあたし達にそれを確かめている術も余裕も無い。
 ただひたすら駆け抜けるだけである。
 赤い閃光は距離をおいたためか、だいぶ拡散して放たれている。
 余程へまをしなければ直撃はしない位置まではたどり着いたようね。
 さすがにあたしも男も息切れをし始めている。
 ここまで走る早さを落とさずに走れてこれたほうが不思議なくらいだ。
『…耳を…か…』
「…え…?」
 不意にまたあの声が聞こえた。
 妙にか細い女の人…女の子って言った方がいいような声で… どこかで聞き覚えがあるんだけど、さっきは男が声をかけてきたおかげでよく分からなかった。
 あたしは走る早さを落とすと、後ろを走っている男を振り向く。
「…さっきから声が聞こえない…?」
「…声? いいや… 特に何も聞こえていないけど…」
「途切れ途切れにしか聞こえないから言葉の意味は判らないんだけど…」
「幻聴じゃないのか?」
 気の無いような台詞を返す男。
 …夢の中で幻聴って一体…
『…お…がい…』
 まただ…
 段々ハッキリ聞こえてくるような気がするのに、隣にいる男に聞こえていないなんて…
 その時、不意に赤い閃光が止んだ。
 青空に赤いセロハンを貼り付けたような筋は次々と光を失って消えてゆく。
 あたしと男は足を止め、思わず互いに顔を見合わせる。
「…どうしたんだろう…」
「……」
 男は無言で先ほどまで閃光が放出されていた点を見据えている。
 しかし、そこからはあれほどしつこく放たれていた閃光は見る影も無かった。
「…疲れたのかな…?」
 確証も何も無いが、あたしは何気なく言ってみた。
「…いや… そろそろ夜が明けるのかもしれない…」
「どういうこと?」
「『美琴』は夜が明ける頃…つまり現実の美琴が起きる時、とどめとばかりに猛攻を仕掛けてくる事がある。ちょうど昨日も最後の時はそんな時間だった」
 なるほど… そういえばあたしが目がさめたのも朝だったものね… 遅刻しそうなくらい遅かったけど…
「…って、ということは…!?」
「そういうことだ!」
 あたしが次の言葉を発する前に男が叫んだ。
 男はそらの彼方から陽光を反射して白い輝きを放ちながらこちらに向かってくる『それ』を指差した。
「…そういえば飛べるんなら何で最初から飛んで追いかけてこないの…」
 昨日もそうだが、何故霊光弾やレーザーを放ちながら接近するようなことをせず、ひとしきり打ち終わってから来るのだろうか?
「…遊んでいるんだよ…」
 男の呟きが耳に伝わってきた。
 その声には疲れともやるせなさともつかない響きが含まれていた。
「…遊んでいる…?」
「俺は…何度か見たことがある… 俺を攻撃しているときの邪悪とも呼べるような『美琴』の表情を… あれは、獲物を追い詰めた肉食獣のような顔だった…」
 男は顔を歪ませながら言葉を紡ぐ。
 あたしの脳裏には、病弱とはいえ健気な笑みを浮かべ、病室で空ガを開いていたあの少女が浮かんだ。
 あたしや他人が見ても美琴ちゃんは素直で可愛い子だ。その最愛の妹が自分に対してそのような笑みを浮かべているなどということを直視すれば気が狂ってもおかしくないと思う。
 それでも男は妹を助ける術を見つけるべく、こうして夢の中をさまよう毎日を送っているのである。
 …その助けるべきものがこうして攻撃してきたとしても…
「…………」
 あたしは言葉を失い、沈黙する。
 隣を見ると、男が険しい表情で先ほど指差した方向を凝視している。
 あたしも男が指差した方向に視線を移した。
 あたしの視線の先にも、青空の中を白いステンドガラスのように光を放つ翼を優雅に羽ばたかせながら近づいてくる『美琴』の姿が捉えられる。
「…逃げ切ることはもう不可能だろうな…」
 男が力なく呟いた。
 あたしは無言でうなずいた。
 …逃げるだけの力も残っていないんだから…
 実は、ちょっと前から男には翼を再生させるほど精神力が残っていないことがあたしにも薄々感づいていた。
 でなければ既に翼を再生させて、飛んで逃げることも不可能ではなかったはずだ。
 恐らくあたしをかばって受けた傷のダメージが想像以上に大きかったのだろう。
「…気にするなよ。別に君が悪い訳じゃないよ…」
 その事にあたしが顔を曇らせているのに男は気がついたようだった。
「…でも…」
「…それにさ、逃げる事は不可能になっても、耐えるのは不可能とは言っていない…だろ?」
  ばさぁっ…
 羽音が頭上で止まる。
 一息置いて、『美琴』はあたしと男の目の前にふわふわと綿毛が中を舞うように降りてきた。
 あたしたちの目の前に再び姿を見せた『美琴』の顔には相変わらず微笑みが浮かんでいる。
 しかし、その笑顔は絵に描いたように見えるほど微動だにしない。
 感情が無くただ笑っているだけ… その中で何を考えているのか、全く窺い知る事が出来ない…
 兄である男には悪いが、はっきり言ってこの『美琴』は動く人形と言ったほうが正しい。
「…耐えるって言ったけど、今回は羽根も無いのにどうやって…」
 男に小声で話し掛けながら、あたしは思わず目の前の『美琴』に向かって構えてしまう。
 構えたからといってどうなるわけじゃないんだけど…
「昨日の夜、『美琴』が拳銃を乱射した時、君を守った透明な壁があるだろう? 翼を復元することは無理だけど、あれくらいならまだ張る余力は残っている。それに全力で力をかければある程度までは耐えられるかもしれない…」
 男はあたしに小声で答えながら、精神を集中するように右手に力を込めて広げる。
「…がんばって、としかいえない…」
 うなだれて呟くあたし。
 非常に悔しいが、何も出来ないあたしは本当に足手まとい以外の何者でもない。
 その時、あたしと男の話を終わるのを待っていたかのように『美琴』はそっと右手の平を上に向けを、まるでボールを放り投げるように手を上げる。
「…なにを…」
 あたしの言葉が続きを発する前に『それ』は来た。
 あたしと男の周りの雲に赤い斑点が浮かび上がった。
 …まさか…
 あたしの考えが正しければ…
「まずい!」
 男も気が付いたようで、慌てて真下に手のひらを向け、昨夜のような呪文を唱える。

  ――蒼穹に放たれし、そらの精霊よ。

   ちからあるものをさえぎる殻となりて、我らを守れ!

 詠唱が終わったあと、下に向けた男の手のひらを中心に薄くみずいろに輝く膜が球状に広がり始める。
「間に合ったか…!?」
 男がそう呟いた瞬間…
  カン! カン! カン!
 甲高い衝突音が隙間無くその膜から響いてくる。
 その膜に対して先ほどと同じ赤い閃光が叩きつけられていた。
 赤い閃光の量が多すぎて、みずいろの膜に赤い光が覆っているようにしか見えない。
「くぅっ!?」
 雲の地面に手をついて防壁を維持している男が呻き声をあげる。
「どうしたの!」
「…何て力だ… 今までの『美琴』が出していた力とは比べ物にならない…」
 愕然としながらも必死になって防壁を維持しようとする男。
 その額には汗が滝のように湧き出している。
 昨日翼で防いでいたときも苦しい顔で耐えていたがそれ以上に男の顔が歪んでいる。
「…そんな… 今までと比べ物にならないなんて…」
 あたしは絶句した。
 ただでさえ、絶望的なのにそれ以上だなんて…
 先ほど男が発案した、『夜明けまで耐える』という方法は敢え無く打ち砕かれそうな様相になってきていた。
(…なにか… なにか方法は無いの!?)
 あたしは必死になって考える。
 考えてもどうなるというわけではない。しかし、頭が超高速で空回りしたとしても考えずにはいられなかった。
 それが、来たる恐怖を抑えることになるわけではないのに…
「ぐっ! お、圧されている…」
 閃光の持つ強力な力を押さえ込もうと男は膝を突きそうになりながら手のひらに力をこめているが、徐々に防壁に凹みが浮かび上がっている。
「が、がんばって!」
 応援しか出来ないのが悔しくてたまらない。
『…こえを…』
「…え?」
 またあの声が頭に響いた。
 そのとき目の前に悠々と浮かんでいた『美琴』が何故か顔を歪めた。
(…どういうこと?)
 あたしの疑問を解き始めようとする前に、あたしのほうを見ていた『美琴』が邪魔なものを寄せ付けぬかのような瞳を覗かせる。
 次の瞬間、下から突き上げてくる赤い閃光がさらに輝きを増した。
「今日の『美琴』は特に様子がおかしい… いつもはこれほどの攻撃をすることなど無い… それにあんな表情を見せたことなんて…」
 防壁を維持しながらも『美琴』から片時も視線を外ずさず見ていた男も『美琴』の変化に気がついたらしい。
 あたしは藁にでもすがる思いで、意識を集中し、その声を耳で拾う努力をする。
『耳を傾けてください…』
 ! 今確かに聞こえた!
 耳を傾けてください… 声の主はそうあたしに語りかけていた。
 絶え間なく叩きつける閃光の音がすべて音を掻き消していたとしてもその声だけははっきりと聞こえた。
 あたしが少しそちらに集中しただけなのに…
 ……どうするの……?
 あたしは自分に問いを投げかけた。
 視線をずらし、必死に閃光を防ぐ防壁を維持している男を見た。
 あの華奢な体から放たれている無尽蔵としか思えない『美琴』の攻撃に、今でこそ持ちこたえているものの、このままでいれば、いずれ男が力尽きてしまう…
 そうなったら……
「…いいわ… 誰だか知らないけど聞いてあげる!」
 わらにもすがるつもりで、あたしはその見知らぬ声に向かって叫んだ。
  …フっ…
 その瞬間…あたしの目の前が暗転した。
 身の回りから音と光が消え、闇と静寂に包まれた。
「…え… こ、ここは…」
 あたしは慌てて首を左右にふり、あたりを見渡した。
 そこには閃光を防ぎ続ける男の姿も、その閃光を放っていた『美琴』の姿も無かった。
『やっと逢えました…』
 あの声がまたあたしの耳の届いた。
 しかし、今回の声は違う。頭に直接響いてくるのではなく、耳を通して聞こえてきた気がする。
「誰!」
 あたしは短く叫んだ。
 しかし、その声は響くことなく暗い虚空へ消えていった。
『わたしです』
 あたしの目の前にふわりと白い光が浮かび上がった。
 その光の中には…
「…美琴…ちゃん…?」
 あたしたちを攻撃していた『美琴』と同じように透明感のある白い翼と、薄布のような白い服を着ている美琴ちゃんがそこに立っていた。
『はい…』
 美琴ちゃんは軽く頷いた。
 その表情は先ほどまであたしと男を追い詰め、攻撃していた『美琴』とは違い、慈愛のある笑顔を薄く覗かせている。
「…それじゃ…あの『美琴』は…」
『あれもわたしです…』
 美琴ちゃんはうつむき加減になって言う。
 …あれもわたし…?
 あのあたし達を攻撃してきた『美琴』と今、目の前にいる美琴ちゃんは同一だというのだろうか?
「いったいどういうこと…」
 あたしの問いに首を横に振る美琴ちゃん。
『今は詳しく話している余裕がありません… こうしている間にもおにいちゃんが…』
 顔を上げた美琴ちゃんの目から頬にかけて光を反射しながら一筋の涙が伝っていた。
 そうだ… 今こうしている間も美琴ちゃんの兄が必死になってあたし達を襲っている赤い閃光から身を守っているのだ。
「…ここは…どこなの…?」
『ここは… 晶さんの精神…心そのものの世界です』
「こころ…?」
『はい。わたしは直接、晶さんの心に同調してこの場所とこの姿…そして言葉を伝えています』
 そんなことができるなんて…
 驚いているあたしに向かって美琴ちゃんが微笑んだ。
『晶さんに気がついてもらうのには苦労しましたけどね』
「…で、あたしになんの用なの?」
 あたしは単刀直入に尋ねた。
『そうですね。時間がありませんから手短にお話します』
 そういって美琴ちゃんは眉をひそめる。
『…おにいちゃんを助けてあげてください…』
 助けって言われても、こっちが助けてもらっているくらいなのに… あたしにどーしろというのだろうか?
『…晶さんにはおにいちゃんやあなた自身が気が付いていない「力」があります…』
 …ちから…?
 確かに美琴ちゃんの兄は言っていた。
 …人よりも精神力が強いのだろう…と…
 しかし、精神力が強くてもここでは殆ど役に立たない。
 夢の世界で自由に力を発揮するには想像力がいる。
『…不思議そうな顔をしていますね…』
「そりゃね… いきなり『力』があります…っていわれてもね…」
『そうですね…では…』
 美琴ちゃんは右手の平をあたしの方に向け、目を閉じた。
『…もうあまり時間がありません… 今からわたしが晶さんに力を解放できるように手助けします… そうすればあなたも自由に夢の世界で「力」を使うことが出来ます… お願いです…おにいちゃんを助けてください…』
 美琴ちゃんが懇願してくる。
 …どうするの…?
 あたしはもう一度自問しようとした…が…
「答えは決まっているじゃない! もちろん助けてあげるわよ!」
 殆ど間を置かずあたしはそう叫ぶように答えを返す。
 もう迷っている余裕なんて無い! こうなったらとことん付き合ってあげようじゃないの!
 …それにいくら巻き込まれたからって二度も三度もあの男に助けられてはあたしの立場が無い!
 あたしの答えを聞き、美琴ちゃんは再び目を開き笑顔を見せる。
『ありがとうございます…!』
「で、どうすればいいの?」
『わたしの手を取ってください…』
 あたしは先ほどから差し出されてままになっていたその透けるような白い手に右手を重ねた。
 握ったその手には綿をつかんだようなやわらかい感触が返ってきた。
『…本当にありがとうございます…』
 美琴ちゃんが首を横に傾け軽く微笑んだその瞬間、握り合ったその手を中心に白い輝きが生まれその場を包み込んだ。
「くっ… …美琴ちゃん…!?」
 薄く開けた目に光の中で美琴ちゃんの姿が光を失って消えて行くのが映った。
『安心してください… しばらく会えなくなるかもしれませんが… わたしは大丈夫です…』
 その声はあたしの頭に直接響いてきた。
「美琴ちゃん…!?」
 ようやく光が収まりあたしが目を大きく開けたとき、美琴ちゃんの姿はそこには無かった。
『…おにいちゃんをよろしくお願いします… そして…』
 迷うような区切りを置いて美琴ちゃんの声が伝わってきた。
『…わたしを…『みこと』を止めてください…』
「わかったわ…」
 あたしは誰もいないその場でうなずいた。
 うなずいた顔を上げたとき、目の前には白の地平線とみずいろの空で分けられた空間が目の前に広がっていた。
 下からは絶え間なく赤い閃光が防壁に跳ね返されて、甲高い音と光を放っている。
「おい! どうしたんだ!」
 雲の地面に手をつき防壁を維持している男があたしに叫んだ。
 …戻ってきた…?
 あたしは目の前から赤い閃光を放ちつづけている『美琴』を見据えた。
 今まで余裕の笑みを見せていたはずのその顔は硬く険しい表情に変わっていた。
「…どうしたんだ…」
 男もそれに気がついたのか、少し首をかしげている。
 …お兄ちゃんを…お願いします…
(分かったわ… 美琴ちゃん…)
 その時、あたしの中に何かが思い浮かんだ…
 白い翼…空を覆うかのような巨大な光り輝く翼のイメージが……
 あたしは軽く息をすぅっと吸った。
「光の翼!」
 あたしの短い叫びが響き渡ると同時に、あたしの背に昨日、男が翼を再生させるときに見せたあの光の粒子が何処からかともなく集まって来た。
 その粒子は寄り集まって、あたしの背中に付着し、形を作り上げてゆく。
「…まさか… あれだけの想像で…」
 そう呟く男の眼前には『美琴』の翼と同じような透明感のある白い翼が生み出されていた。
 パジャマ姿のあたしの背中には一対の翼が今にも飛び立とうとせんばかりにゆったりと羽ばたいている。
「…これが…想像の力…」
 その時あれほど下から抉るように放たれていた赤い閃光がやんだ。
「…どうしたんだ…?」
 男は油断せずに防壁を維持したまま呟く。
 あたしのこの姿を見据えていた『美琴』は左手をあたしの方に突き出してきた。
「…まさか… 避けろ!」
 男の声が耳に届くか届かないうちに『美琴』の左腕の中からあたしに向けて赤い閃光が放たれた。
 放たれた閃光は今までのものとは比べ物にならないほどの凄まじい輝きを放ちながらあたしに向けて接近してくる。
 そう、今まであたしと男を覆い守っていた防壁をあっさりと貫通するほどに…
「…な!?」
 男の短い叫びが聞こえるか聞こえないうちに、閃光は防壁をたやすく貫通すると、威力の衰えも見せずにあたしを貫こうとする。
「………!」
  カン!
 しかし、甲高い音を立ててあたしに向かってきていたはずの閃光はあさっての方向に飛んでいった。
 何の事は無い、はじき飛ばしたのだ。
 あたしが軽く腕を振るって……ね。
「なに…!?」
 男が目を見開きあたしに視線を移してきた。
 男の背にあったはずの翼をやすやすと弾き飛ばすほどの威力を持った赤い閃光をあたしは素手で弾き飛ばしていた。
 しかも、どう見ても今まで『美琴』が放ってきた閃光よりも強力なものをだ。
 そのあたしの手は傷どころか、痛くも痒くも無い。
 男が驚くのも無理も無い、実際あたし自身もびっくりしているんだから……
 …でも、これならいける!
「さて… 今まで散々追い掛け回してくれたわね…」
「…目が怖いぞ…」
 思わず顔を引きつらせて呟く男。
「今までやられていた分はきっちり返させてもらうんだから!」
 あたしはそう宣言すると、右腕の人差し指を青空めがけて突き出した。
 そして頭に浮かび上がったその言葉を放つ!
「斬殺の光刃!」
 ただそれだけを叫びながら、あたしはその人差し指を真っ直ぐ下に振り下ろす。
 あたしが振り下ろした指先の軌跡に光の白刃が浮かび上がった。
 それは風を切る音も立てず真っ直ぐに、目の前に迫っていた『美琴』めがけて空を翔ける。
 『美琴』はそれを背にある翼をはためかせ弾き飛ばした。
 あたしの放った白刃は『美琴』の後方の空に吸い込まれるようにして消えてしまう。
 しかし、『美琴』の表情は固い。
 難なく跳ね返したように見えたあたしが放った白刃は『美琴』の翼の端を切り取っていたのだ。
 …ちょっとは効いているみたいね!
「それじゃこれはどう!」
 あたしは胸の前で両手の中の空間を包み込むように向けると、『美琴』の周囲に青に輝く稲光を纏わりつかせる。
「瞬殺の雷光!」
 あたしはまた言葉を放ち、向い合わせていた両手を『美琴』の方に向けて突きつける。
 『美琴』の周囲に帯電していたスパークはそのまま『美琴』を包み込むように急速に縮退する。
 しかし、『美琴』は固い表情のまま動こうともせず、あの赤い糸のようなものを何処からとも無く取り出すと自分の包み込んでいる稲光に向けて放り投げた。
  ドォォォォォンっ
 『美琴』の赤い糸が雷光に触れた瞬間、青白い柱が『美琴』を中心に天を突き上げる。
 それが消え去った後には、無傷のままの『美琴』が宙に浮いていた。
「…なーるほど… あたしが手を抜いている事に気が付いているわね…」
「…なんだって!?」
 突然のあたしの豹変に先ほどから呆然としていた男がようやく我を取り戻したらしい。
「今のは、本当は雷光に触れずにおとなしくしていれば何にも起こらないのよ… 縮小も途中で止まるしね。赤い糸を触れさせたのはわざとね…」
「それじゃあれが炸裂してもそれほどダメージを受けない事が分かって…」
 男の呟きにあたしはうなずく。
 なんだか分からないけどあたしのこころ?の中に現れた美琴ちゃんがあたしの力を引き出すといっていた。
 それの作用なのかも知れないけど、あたしには『美琴』の状態がなんとなく分かる。
「…! 伏せて!」
 あたしは叫ぶと男の頭を押さえつけ、自分の翼で自分と男を包み込む。
  ザシュっ ザシュっ
 あたしの翼を何か固いものが突き刺さるような音が翼の外側から聞こえてきた。
 その音がやみあたしが翼を広げると、あたしの翼の外側に白に輝く羽根が突き刺さっていた。
 間違いない… 『美琴』の羽根だ。
 見ると『美琴』は両腕を広げて力を貯めるようなしぐさを取っていた。
「次は本気で来る気ね! そうはいかないんだから!」
 あたしは高らかに叫ぶと、左手を右手首に添え、右腕を目の前に突き出し、静かに頭の中に浮かんだ呪文?らしき物を唱えだした。
 ―――赤に輝きし星のたもとにありて……
 どうやらあたしは美琴ちゃんの兄であるこの男とかと違い、呪文のようなもので想像力を高めなくてもこの世界で力が使えることがさっきまででわかった。
 ―――この地にあまねく邪なる存在(もの)を滅せしものよ……
 しかし、それは呪文を唱えることが出来ない訳ではなく、呪文を唱える事によって…
 ―――我が呼びかけに答えよ!
 さらに力を強められる事が出来るはず!
 あたしの手のひらからあたしが寝る直前に読んでいた美樹から借りたファンタジー小説のヒロインが出現させていた白い魔方陣と同じものが浮かび上がった。
 その魔方陣はあたしの手のひらを中心にどんどん面積を大きくし、あたしの背丈と同じ高さまで膨れ上がる。
「いくわよ!」
 あたしが掛け声をかけると、目の前の魔方陣が紅い光を帯び始め、その色を白から赤へと輝きを変化させる。
「…って、見とれている場合じゃない!」
 何かに気が付き慌てて男も呪文を唱えだす。
 ―――赤き星の光を導きし光の柱よ! 闇を打ち貫く矢となれ!
 あのファンタジー小説の呪文が完成する。
紅星滅殺(ルビーライトイレザー)!」
風霊防除(エアリアルシールド)!」
 あたしの声と男の声が重なる。
 あたしが生み出した魔方陣から『美琴』が放っていたものよりもはるかに太く大きな閃光があたしと『美琴』の間にあった雲の地面を剥ぎ取りながら『美琴』めがけて突き進む!
「……!」
 あたしが放った『紅星滅殺(ルビーライトイレザー)』が命中する直前『美琴』の声にならないような叫びが微かに聞こえた。
  どぉぉぉぉん!
 『美琴』に直撃したであろう閃光があたりを紅に染めながら爆光を放った。
 …が、至近距離で炸裂した爆風があたしと男に跳ね返ってきた!
 やばっ! 今のあたしはともかく男のほうがやばい!
 あたしは隣にいる男に叫ぼうとした。
 しかし、爆風は巻き取られたかのようにあたしと男を挟んで左右に霧散する。
「ふぅ… 危なかった… …晶、もうちょい考えて力を使ってくれ…」
「…あなたなんかしたの?」
「…なんかって… 残った気力で張った防壁…『風霊防除(エアリアルシールド)』が間に合ったよ… その代わりへとへとになったけどね…」
 男は防壁を消し、雲の上にしりもちをついた。
「…あの魔法って確かバックファイアーがあるからこんな至近距離で使う魔法じゃなかったはずだけど…」
「…よく知っているわね… …ということは、あなたもあの小説を読んだことがあるのね…」
「以前、美琴に進められてね…」
 そういって『美琴』がいた場所に再び目を向ける男。
「…思いっきり攻撃しちゃったけど『美琴』…大丈夫なの…?」
 大切な妹を攻撃したのに、この男はあたしに文句のひとつも言わないなんて…
「…正直気分がいいもんじゃないがね… とっさの事でとめることも出来なかったというのもあるけど… それに『美琴』に反撃する君を止める権利は俺には無いよ…」
 男は寂しく呟いた。
 たしかに巻き込まれているあたしにとっては敵である以上の何物でもないが、この男にとって『美琴』は大切な妹である。
 しかし、その妹が殺すような勢いで他人を攻撃しているのだ。
 その攻撃対象になった人物…今でいうあたしが反撃しても非難する事は出来ないだろう。
「…それに、美琴は大丈夫だよ… これくらいじゃなんとも無いはずだ…」
「でも、大丈夫って…」
 あたしの危惧は現実となって襲い掛かってきた。
 爆風によって吹き散らされた雲が晴れていないこの場所に日本刀のような刃の煌きが打ち下ろされた!
 その刃が通り去った後には、障子をカッターで切り裂いたような雲と雲の切れ目が残った。
「…だろ?」
「って感心している場合じゃないわよ!」
 あたしと男が一歩後ろに下がると、吹き散らされていた雲の中から、右手に抜き身の日本刀を携えた『美琴』が浮かび上がっ…… え!?
「な!?」
 男の方も短く叫ぶ。
 雲間から姿を現したときは、確かにそれは『美琴』に見えたのだが……
 しかし、その髪の毛はやわらかそうな栗色ではなく闇を塗り固めたような漆黒の色… そしてその瞳は血の色で染められたような宝石…ルビー色に輝いている。
 顔付きも先ほどまでの『美琴』と比べてもやや大人びた顔をしている。
 その顔には少しほど残っていたもとの美琴ちゃんのやさしげな表情は無く、魔性の笑みが貼り付けられていた。
 今まで白い布のような服を着ていたはずだが、その少女は見た事も無いセーラー服を着ていた。
「だれ!」
 しかし、目の前で刃を構えるその女は答えない。
 それどころか無言で剣を横に凪って来た!
「うわっと!」
 あたしは反射的に身を後ろにスライドさせて刃を交わす。
 しかし、左右に開いていた翼にその刃が掠め、白い羽を散らせる。
「何者だ!」
 やっぱり男のほうもその女ことを知らないみたいね。
「…(みこと)…」
 男の問いに答えたかのようにそれだけを口にした。
「…どういことだ!」
 男が詰め寄るように問うが、命は何故か左手に持っていた鞘にその日本刀を収めてしまう。
「…また…」
 ぽつりと呟いた後…
「…消えた…?」
 命はまるで蜃気楼のように掻き消えてしまった。
「…おそらく朝が来たんだろ…う……」
 男は全身から力が抜けたようにドサリと音を立てて倒れこんでしまった。
「だ、大丈夫!?」
「ああ、何とかね… 今日は大分消耗したからヤバかったけど…」
「…あの子… 何者なの…?」
 あたしの問いに無言で首を横に振る男。
 この男ですら知らないなんて…
「…『美琴』…何処にいったの…? まさかさっきの攻撃で消し飛んだんじゃ…」
「…いや、それは無い。もしさっきので『美琴』が倒されていたら、この世界も一緒に崩壊していたはずだ」
 確かに、この世界そのものである『美琴』が消滅したとなれば、この世界も消えるのが筋ではある。
 にもかかわらずこの世界自身は、相変わらず雲と青空のみで構成された世界を維持しつづけている。
「でも、美琴ちゃん目が覚めたんでしょ? 何でこの世界消えないの?」
「人間がすぐに起きれるわけ無いだろう… 特に美琴は低血圧だから朝に非常に弱い。だから起き抜ける直前の状態が長いんだよ…」
 わたしもさほど低血圧という訳では無いけれど朝に弱い。
 その時半分夢の中にいるようなぼーっとしたような状態になるけど、あれと同じような状態なのかな?
「ま、とりあえず今日のところは何とか耐えられたな… で、それよりも晶… その力は一体…」
 いまさらながら男が急に変貌したあたしの姿について尋ねて来る。
 あたしの背中に生み出された白い翼は、未だにゆったりとしたはばたきをつづけている。
「…美琴ちゃんに会って来たの…」
「美琴に!?」
 目を剥くようにして何とか上半身だけ起こしながら男が叫ぶ。
「正確に言うとあたしの精神に美琴ちゃんが直接語りかけてきたんだけどね。そのときあたしの中にある『力』を引き出してくれるって美琴ちゃんが言ってね…」
「力を…」
 難しい顔になった男はあたしの背から生えた翼に目をやる。
「…美琴と同じ… 翼は力の象徴…」
「翼が力の象徴…? だってあんただって翼持っていたじゃないの…?」
 あたしの問いに男は首を振る。
「本来美琴には翼は必要ないはずだ。この世界は『美琴』の世界なんだからな」
 そういえば確かにそうである。
 この世界は美琴ちゃんの夢の中なのだから、わざわざ翼を想像しなくてもその身を飛ばすことはいくらでも可能だろう。
 にもかかわらず、美琴ちゃんの背中には翼があった。
「美琴にとってあれは単なる飾りみたいなもの… しかし、あの翼が姿を現しているときの美琴の力は桁が違っているんだ」
「…ということは、翼が無かったときもあったのね?」
「ああ、最初の頃は翼は無かったよ。俺が力を自由に使えだした頃、美琴はあの白い翼を現すようになった…」
 それだけ言って沈黙する男。
「…ところで、この翼ってどうやって消せばいいのかな…」
 あたしは自分の背中から伸びている翼に指差しながら言う。
 ちなみにこの翼…あたしは『光の翼』って言って出現させたけど…どうやらこれもどこかのファンタジーものが元ネタのような気がしてきた。
 どこかで見た記憶があるんだけど何処だったかな…
「…それにしても翼を想像するのはいいけど、服のほうはどうにかならなかったのかぁ…?」
 確かに今のあたしの格好はファンタジックな白い翼にパジャマ姿というお間抜けな格好になっている。
「う、うるさいわね! とっさにだったから服まで気がまわらなかったのよ!」
 あたしは頬赤らめて叫ぶ。
「消えて欲しいと願えば消えると思うよ。 今の君なら簡単に消すことが出来るんじゃないのか?」
「そ、そうなのかな…」
 あたしは頭の中で翼が消えてゆくことを思い浮かべた。
 そうすると背中から生えている翼は徐々に光を失い、薄れてゆく…
 最後にその翼を構成していたと思われるあの光の粒子が霧散して、翼は完全にその場から消え去った。
「ほんとだ…」
 あたしは先ほどまで翼のあった背中を覗き込む。
 そこには翼があったことを物語るようなものは何もなかった。
 別に本当に背中から生えていたわけではなかったのか、パジャマに穴が空いているということもなかった。
「…ところで、そのこころの中で会ったという美琴はその後どうなったんだ?」
「消えちゃった…」
「なに!?」
 男の言葉に怒気が含まれているのが容易に分かる。
「あたしの力を引き出してくれた後、美琴ちゃんは消えちゃったんだけど『しばらく会えなくなるかもしれませんが… わたしは大丈夫です』って言ったのよ…」
「…しばらく会えなくなる…? どういうことだ…?」
 男は誰に問うわけでもなく呟く。
「さあ…」
 あたしとしてはそう答えるしかない。
「まあ、起きたら病院に行ってみるしかないんじゃないの? 少なくとも今までの傾向なら起きているはずだしね」
 今回もちゃんと『美琴』に夢の中で会っているので、朝目覚めないということはないはずだ。
「そうだな…」
 あたしの言葉に男は力なく頷く。
 心配なのはあたしも同じだが、今ここでうじうじとしていても仕方がない。
 次は朝起きてからの話なのだ。
「それにしてもあんたとは違って美琴ちゃんって本当にいい子よねぇ〜」
「…あんたはよしてくれよ… 俺にだって名前があるんだから…」
 男はいいかげん嫌そうに顔をしかめた。
「…そういえば名前を聞いていなかったわよね…」
「…レン…」
「? レン?」
「俺の名は『東陽 煉夜』… 妹…美琴にはレンお兄ちゃんと呼ばれているのでレンと呼んでくれればいい」
 …やっぱり、判断基準が妹のようである…
 ツッコミを入れたいところだが、言っても聞きそうに無いので黙っておく。
 しかし、高校生にもなってお兄ちゃんと呼んでいる美琴ちゃんも美琴ちゃんなんだろうけどね…
 あたしは呆れていたのだが、何か引っかかるようなことがあった。
 …が、その引っかかった何かが頭に浮かびそうになったとき、あたしの体がグラリと揺らめいた。
「…えっ!?」
  バサッ…!
「ぐぇ!」
 レンが蛙がつぶれたような声をだした。
 突然倒れてきたあたしの下敷きになったのだから当然だけど…
「お、おもい…」
「し、失礼ね!」
 めちゃくちゃ失礼なうめき声を上げるレン。
「どうでもいいからどいてくれ…」
 あたしは慌てて体を起こし、雲の地べたで大の字に倒れているレンの隣に腰をおろした。
「やっぱりな…」
 ようやく体を起こしたレンが納得顔で呟いた。
「やっぱり?」
 あたしが聞き返したとき、目の前のレンの姿が蜃気楼のように霞を帯び、徐々にその姿を失って行く…
「…ど、どうしたの!?」
 あたしは慌ててレンに近寄ろうとしたが、あたしの足はその場に釘付けされたみたいに一歩も動けなかった。
「ど、どういうこと!」
「…心配するな。『美琴』が完全に目を覚ましたんだろう…」
 レンには慌てた様子も無い。
 ということはようやく今夜の夢に終わりがきたのだろうか…?
「『美琴』と共にあった俺達の今日の夢ももう終わる… 君も目を覚ますよ…」
「そう…」
 あたしは軽く頷いた。
「…一つだけ言って置くよ」
 消えかかりながらレンが呟く。
「今日、学校には無理して行くな…」
「え…? どうし…」
 あたしの問いにレンは答えようとした見たいだけど、口をパクパクさせたのが見えただけで内容はあたしの耳には届かなかった…
 …そして、あたしとレンの存在がその世界から消えた…
              
 あたしは目を覚ました。
 昨日と違って飛び起きることも無く静かな目覚めだった。
 あたしは腰から上を起こし、カーテンごしに窓の外からもれる日の光を受けた。
 ふと横の時計を覗く。
 …長針が2時、短針が8時…
「…昨日よりもピンチじゃないの!」
 慌ててあたしはベットから飛び降りる!
  ぐらっ
「え……」
 床についたはずの足が自分の体重を支えるのを拒否するかのように膝が折れた!
「うわっと!」
 そのまま床に転がるところだったけど、何とかベットの端につかまって踏み止まり、倒れるのだけは避ける事が出来た。
 体が思うように動かない!?
「…どういうこと…」

『今日、学校には無理して行かない方がいい…』

 夢の中に出てきた美琴ちゃんの兄、レンが言っていた事を思い出した。
 …こういうことなのね…
 多分夢の中であれほどの力を使ったため気力が回復していないせいなのだろう。
 体力的には回復しているみたいなんだけどね…
「…といっても… 今日はテストがあるのよね…」
 そのテストは受けないと進級にかかわるものではないものの、合格点を取るまで何回でも再テストがあるという恐怖のテストだ。
 もちろん休んだ場合でも再テストを受ける必要がある。
 あたしは、いっとき思案するものの、再テストという事態を避けたいということからゴソゴソと着替える準備をはじめた。
 …再テストって放課後にやるんだもんね…
 貴重な放課後という時間がが失われるというだけで、今日日の高校生にはかなりの打撃である。
「うんしょっと……」
 あたしは着替えを終えるとカバンを手にして部屋を出てゆく。
「あきら〜 ご飯はぁ〜」
 あたしの足音を聞きつけた、お母さんが台所から声を掛けてきた。
「それどころじゃないわよ! それなら食べられるように起こしてよ!」
 文句を言いながら玄関で靴に足を突っ込む。
「いってきま〜す」
「いってらっしゃ〜い! 気を付けてね〜」
 お母さんの送り出す声が背中から届く。
 玄関のドアを明けると春の日差しが目に刺さる。
 目が白く眩んだけれどもそれも一瞬のこと、あたしはそのまま駆け出した。
「…何とかぎりぎり間に合うかも…」
 あたしは腕にはめている時計を目下に置きながら学校までの道のりを走る。
 春の空は穏やかに晴れていた。
 まるであの夢の青い空を再現するかのように…

第3話 完

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