夢の残照
          風野 旅人
 夢…
 その時確かに夢の中にいたはず…
 眼下には闇に沈む町並み…
 頭上には遥かなる宇宙(そら)よりの無数の光…
 そして…白き翼と慈愛に溢れた表情を持つ少女…天使…
 それと対を成す、少女の光のような翼とは違う翼を持つ青年…
 撃ち放たれる黒い流星。
 空を翔る無数の閃光。

 そして…閃光が弾け、白い光に包まれてその夢は終わった…
 世界…ゆめ…を照らす、まばゆき光の輝きを放ちながら…


 第2話 夢の調べ 前編

「ちょっと…」
 ぼんやりと黒板の方を眺めていたあたしに背中から声が掛けられた。
 もっとも考え事をしているあたしには聞こえていなかったのだが…
「もう…どーしたのよ」
 あたしに声を掛け続けていたその声の主は、後ろからあたしの肩を軽く揺さぶった。
「…あ、美樹…」
 今ごろになって気付いたように口を開くあたし。
「あ、美樹…じゃないわよ」
 呆れたような口調で声の主、美樹があたしの机の前に回る。
 星野美樹…美樹…とあたしは中学校に入って以来の友人である。
 天文部などと今時流行らないマイナーな部活の部長をしていて、部員はあたしを入れても5人くらいしか居ない。
 『くらい』と言ったのはそれなりに部活に顔を出しているあたしでも、部員の数を正確に把握していないのだ。
 つまりこういうマイナーな部活のお約束、幽霊部員がほとんどであるというわけだ。
 まあ、あたしも美樹の強引な勧誘に根負けして入部したようなものだけど…
 基本的に星を見ていればいいだけの部活なのでその点は楽だけどね…
 ……機材の準備は美樹に任せっきりだし……
 その美樹が大きな丸眼鏡を掛けた顔に困ったような表情を浮かべて、あたしの顔をのぞき込む。
「どうしたのよ、そんなぼんやりして…あなたらしくも無い」
「まあ、ちょっとね…」
 あたしは曖昧に言葉を濁す。
 まあ、説明しても分かってもらえる事でもないしね……
 あたしは美樹から視線をはずし、3階にあるこの教室の窓から校庭を見下ろした。
「すっかり春ね……」
 あたしは思わずそんな言葉を口に出す。
「…悪いものでも食べたの?」
 美樹が訝しげな口調でつぶやいた。
 ……どう聞いても暴言よね……
「…あたしが『すっかり春ね…』って呟いちゃいけないの?」
「うん」
 こくりと、即答で頷く美樹。
 ……まあ、あたしでもそう思わないこともないけど、即答されるほどじゃないと思っているんだけどなぁ……
 確かにあたしらしくないかも…今日半日の授業内容全然記憶にないし…
 ちなみにあたしの直感が正しければ今は昼休みのはずなんだけど…
「…それで? 何の用なの」
 あたしは再び美樹に視線を戻す。
「そうそう、大したことじゃないけど…もう昼休み半分終わるよ…」
 美樹は教室の黒板の上に備え付けてある丸時計を指差しながらいう。
「えっ?」
 あたしは美樹の肩越しにその時計を覗き見る。
 確かに昼休みが半分終わっている…
 昼休みが終わる…今日はお弁当を持ってきていない…学食及び売店は昼休み終了10分前まで…
「………」
 あたしは、おもむろにスカートのポケットの中から財布を取り出す。
 そして、『我が輩は猫である』の人を一枚取り出すと、目の前で呆れながらあたしを見ていた美樹に手渡す。
「何のつもりよ…」
 美樹がいぶがしげな顔をして『坊ちゃん』の人を受け取る。
 そして、あたしは『三四郎』の人(…はもういいか…)を渡した手をそのまま横へ振り…
「ゆけ! 我が下僕一号よ!」
 と、教室のドアを指差しながら言う。
「誰が誰の下僕よ! 誰が!」
 あたしの命令にいきなし背く下僕一号…もとい美樹。
「下僕一号が不満か…」
「普通そう言われて嬉しい奴なんか居ないわ」
 あたしの顔を軽く睨め付けながら言う美樹。
「仕方があるまい…」
 またしても偉そうに言うあたし。
「?」
「ゴー! ポチ」
 とまた教室のドアを指差すあたし。
  フッ!
「…ちっ、はずしたか…」
 美樹はお札を握った腕をあたしに振り下ろしたが、あたしが首を横にずらす方が早かった。
「おそい。あたしを小突くなんて十年はやい」
 などと格闘ゲームのキャラみたいな台詞を吐くあたし。
「…いかないわよ…」
 ジト目で呟く美樹。
「…まあ、冗談よ。悪いけどお昼買ってきて欲しいのよ。ちょっと気分が良くないから…」
「それなら、昼ご飯より保健室の方が良いような…」
 ちょっと心配げな口調になって言う美樹。
「大丈夫よ。保健室で寝ているより食べた方が良いから、別に吐き気がするって訳じゃないしね…」
 と言って手近に有った紙切れに買ってきて欲しい物をメモすると、美樹に手渡す。
「お釣はあげるからよろしく…」
 あたしがそう言うと、それじゃ…といって美樹は教室を出て行った。

 美樹が教室を出ていった後、あたしは再び教室のまどから外を眺めた。
 この教室の窓は、3階の南側に面している。
 目の前にあるのは校庭で、視界を遮る物は野球グランドのバックネットくらいしかない。
 さらにその視線の先には、春の陽気に照らされた白い町並みが広がっている。
 その中に、夢の中で見た建物が目に映る。
(あれを…夢の中では真上から見ていたのね…)
 ふと、夢の光景が目に浮かぶ。

  静かに舞い下りる白く輝く羽根…
  背に一対の翼を持った色白の美しい少女…天使…
  朱に輝く糸…漆黒の光弾…
  輝く光球…再生する翼…

 そして…
  がんっ!
 最後のシーンが頭に浮かんだ瞬間、あたしは握り拳を目の前の机に叩き降ろしていた。
 そのあたしに向かって教室で時間を持て余していた生徒の視線が一斉に集まる。
 何事か、という視線を送ってくる生徒達に、あたしはしまったという表情を隠し、愛想笑いを浮かべて手をぱたぱたさせる。
「あっ、何でもないから… 机に虫がいたから払いのけただけ…」
 あたしは適当なことをいい、生徒の視線が引いてくるのを待って再び視線を窓の外に向ける。
(…こうなったのも、あの夢のせいよ!)
 今の出来事をその夢のせいにするあたし。
 窓の外を見ているのも、実は怒り心頭で鬼のような形相になっているであろう自分の顔をクラスの生徒に見られたくないからである。
 取りあえず最後の出来事は記憶から削除しておくことにする。
(…それにしても、何でたかが夢にこんなに気になるんだろう…)
 確かに限りなくファンタジーなのにみょ〜に現実味がある世界だった。
 そこに登場する物全てが普通の夢とは違い、それそのものにキチンとした存在意義がある…と言えば良いんだろうか?
 言うなればそれらの物…翼やら魔法やら…が実在すればあの世界は現実の世界なんだろう。
 あの夢の世界にとってあれは現実…
 夢の世界でそれらの出来事がその世界にとって現実なのはある意味当然なのだが…
(まあ、ファンタジーの割りには銃なんかも出てきたけどね…)
 いろいろな物が混じりすぎてて、実に統一感の無い世界だった。
 あたしは溜め息を軽く混ぜた息を吐くと、窓の方を見たまま力尽きたように、バッタリ、と机に突っ伏した。
(なんだか…考えすぎて頭が疲れてきた…お腹も空いたし…)
 あたしはお腹が鳴りそうになるのを耐えながら、食料の到着を待った。
(…美樹の奴遅いな…まあ、とろいところがあるからね…)
 などと美樹が聞いたら怒り出すようなことを思うあたし。
「こら〜!」
 机に突っ伏していたあたしはその声を聞いて、体を起こす。
 声のした方…ドアの方を向くと、あたしが頼んだ救援物資…もとい昼食を抱えて教室に美樹が飛び込んできた。
「なに?」
 あたしはしれっとした表情で美樹の方をむく。
「あまったお金をくれるて言ったわよね…」
「言った」
「…あまるどころかマイナスよ! マイナス!」
 美樹は売店より仕入れてきた昼食をあたしの机の上にばらまき、文句を叫ぶ。
「あれ? そうだった?」
 またもとぼけるあたし。
 ちなみにあたしが書いたメモには…
 おにぎり6個
 ジュース2本
 デザート(プリン)1個
 と書いてあるはず。
 で、肝心の値段は…
 おにぎり 百二十円
 ジュース 百二十円
 プリン  百五十円
 締めて…
「千百十円よ!」
 あたしの目の前にレシートを突き出す美樹。
「ご苦労様。そのレシートはあげるから」
 とそれだけいってあたしは、机の上にばらまかれた食べ物を手に取る。
「ちょっと待て! 食べる前に金払わんかい!」
 美樹は素早くあたしの手の中にあったおにぎりを掠め取る。
(ちっ、何事も無く食べてうやむやにするという作戦は失敗か…)
 作戦も何もあったものではないが、しぶしぶポケットの中から財布を取り出し、小銭入れから百円硬貨と十円硬貨を取り出す。
「はい」
 ピッタリのお金しか渡さないあたしに対して美樹は顔色一つ変えずに、
「…お釣をくれる件に関しては、調子の悪いというあなたに免じて今回は目をつぶってあげる」
という。
 いい奴である。
 美樹は性格は悪くないし、言葉使いだってあたしと喋る時以外はとても丁寧だし、容姿だって男子全年齢層直撃(謎)の黒髪ロングと一部の人間には打ち勝つことの出来ない魔力を放つというアイテム(?)・眼鏡という一見するとお淑やかなお嬢様風なのだが…
 天体にゲームにアニメ好きという趣味のためか、ちょっち敬遠されがちになっているのだ。
 事実、あたしと一緒に繁華街などで買い物していると、しょっちゅうナンパ男どもに声を掛けられている。
 ちなみにあたしには誰も言い寄ってこない…と言う事実は取りあえず教室の窓から捨てておくとして…
 で、美樹がそのナンパして来た男どもにいきなし、
『オリオン座の星雲のメシエ番号っていくつですか?』
 という質問を投げかけていたのを見たことがある…
 …普通の一般人ではオリオン座に星雲がある事は知っていても、メシエ番号まで覚えている奴はいないと思う…
 この時点で大概の男は退散している。
 それでも一人くらいは、この質問に耐えた…もとい答えた奴がいたと思うけど…
 だが、次の質問で間違いなく撃沈する。
『南極老人星のもう一つの名前って知っていますか?』
 繁華街でたむろって、ナンパしているような輩では絶対解答が返ってくることはあるまい…
 そもそも南極老人星というものが理解できないだろう…
 まあ、それはいいとして…あたしとしては、美樹の家に行くたびに格闘ゲームの相手を延々とさせられるのは勘弁して欲しい。
 お金を渡したあたしは改めて机の上に広げられたおにぎりを手に取る。
「それにしても良くこれだけ食べれるわね…」
 感心したような呆れたような顔で呟く美樹。
「今日は寝坊して朝、抜いてきたからね…」
 既に2個目を口に入れ終わったあたしは、ジュースを手に取る。
 あたしのおにぎりを食べている様子を見ていた美樹は教室の窓から視線を移した。
「今日、帰りに商店街の方によっていかない?」
 窓を見つめたまま、美樹は呟いた。
「え?」
 3個目を口に頬張っているあたしは意外なことに驚く。
 というのも美樹はあまり繁華街とかは好きではない、前述のようにナンパが多い所為がその一因にはあるが…
「今月の新しい天文雑誌まだ買っていないから買いに行くんだけど、どうする?」
「あたし、調子悪いんだけど…」
 別に行きたくないわけではないけど、遠慮気味に答える。
「別に無理にとは言わないけど… 身体の調子悪いわけじゃないんでしょ?」
 …鋭い…!?
 普段の美樹からは想像できないほど鋭い指摘が飛び出した。
「…なんで分かったの…?」
 4個目の手を止めたあたしに美樹が得意そうに胸をそらす。
「伊達に4年以上の付き合いじゃないわよ」
 美樹は手をパタパタ振りながら微笑んでいる。
 美樹とは中学一年からの付き合いがある、一緒にいる友人としては今迄で一番長いとは思うけど…
「まあ、半分は当てずっぽうだけどね」
 軽く舌を出しながら微笑む美樹。
「…でも商店街好きじゃないでしょう…美樹は」
「何言ってるの。その雑誌、商店街にある本屋(あそこ)じゃないと扱っていないでしょ」
 確かに天文関係の雑誌は一部を除いて大き目の本屋でしか扱っていない。
 そしてこの付近で扱っている店といえば、その商店街の本屋しかない。
「…了解」
 あたしはある意味で美樹に根負けして行くことを承諾する。
「それじゃ、また放課後」
 美樹はあたしの前から立ち上がると、自分の席に戻って行った。
 あたしはその後ろ姿を目で追いながら、5個目をたいらげる。
 …心配していてくれるのだ…
 身体の調子が悪いわけではないことを見抜いたのにも驚かされたけど、それを心配して好きでもない商店街に誘ってくれた事には正直嬉しい。
(…商店街か…吹っ切れるかもね…あたしも買い物でもすれば…)
 あたしは、目の前に置かれた本日6個目のおにぎりにかぶりついた。
         ☆
 …放課後
 あたしは部室に荷物を取りに行った美樹を昇降口の外で待っていた。
 空には黄色い光が灯り始めていた。
 あと、数時間もしないうちに赤く染まり、そして夜を迎えることになるんだろうな…
 思わずしんみりとした気持ちで西の空に傾いた太陽を見つめてしまう。
(…いけない、いけない。何のために美樹が商店街に誘ってくれたか分からないじゃない…)
 気を取り直して空から視線を降ろすと、丁度美樹が昇降口から出てくる。
「さっ、行きましょう」
 後ろからあたしの肩をぽんっと叩いて、美樹は一歩前を歩き始める。
 それに併せてあたしも校門を目指して歩き始める。
 西の空から放たれる黄色の光が並んで歩くあたしと美樹を照らしている。
「あんまり暗くならないうちに帰りたいな…」
「そうね…」
 あたしは黄色い光に目を細めながらうなずき返す。
 桜が咲き始めているとはいえ、日が沈み始めると次第に寒さが戻ってくる。
 あたしとしても早めに帰りたいところだ。
「で、どこから行くの?」
 あたしの隣を歩く美樹に声を掛ける。
「とりあえず、本屋ね。それから…」
「あっ、あと駅ビルにも寄りたいんだけど…」
「いいわよ」
 本日の商店街周遊コースは、検討の末、本屋→喫茶店→駅ビル→解散となった。
 検討も何もいつもと大して変わらないと言う説もあるが…
 まわる店を相談しているうちに商店街に着いていた。
 周りを歩く人の量が増えてきている。
 時間的にどこの学校も終わる時間だし、夕食の買い物に来た主婦も見受けられる。
 大抵休日しか商店街にあたしにはいつも以上の混みように見えた。
「なんだか、休みの日よりも混んでるような気がする…」
「学生なんかは、放課後に友人と来る人たちがほとんどだからね…」
「わざわざ、休日昼間を選んで来るあたし達とは違うか…」
 あたしと美樹はアーケードで覆われた商店街の中に入って行く。
 商店街の中は外側から見るよりも多少空いているように見える。
 学生達などは店の前などで固まっていたためだろうか?
 あと主婦達も井戸端会議をあちらこちらで開催していたりする…
「じゃ、三洋堂へ行きますか」
 三洋堂とはこの商店街で一番大きな本屋で、今回買いに来た本はこのあたりではここでしか売っていない。
 とはいえ商店街に収まる位なのだから、郊外にあるような広い床面積を持っているような店ではない。
 5F建ての店舗に本の棚がギッシリと並んでいて、とてもゆったりとは言えないお店ではあるけど…
 それでも扱っている本の主な物が様々な分野の専門書であるためか、学校の先生などが利用しているのを見かけることが多いし、近くの大学の学生なども資料探しに来ている。
 ただ、見た目が古びているせいもあるためか、一般の人には受けが悪いようである…
「いつも思うけど、この店って奥に古代魔法書でも眠っていそうな雰囲気があるよね…」
「たしかに…」
 それほど極端に古いわけではないが、隣近所の商店街の店舗と比べてみると確かにそういう雰囲気を醸し出している。
 店の前まで来ていたあたし達は、並んで店のドアをくぐる。
 ちなみに自動ドアではない。
「いらっしゃい。おや、君たちか」
「こんにちは、店長」
 出入り口の隣に設けられたカウンターで新聞を広げている店員に、あたしは軽く挨拶を返す。
 この人はこの店の店長で、唯一の店員…まあ、個人経営なのだからそんなものだろう。
 高校生がこの本屋に来るのが珍しいのか、あたし達はすっかり顔なじみなってしまっている。
「月刊スカイガイド入っていますか?」
「ん? いつもの本だろ? 今日発売日だからね」
 そういって、カウンターの後ろの棚から一冊の雑誌を取り出す。
「はい。空ガ」
 店長はこの時期に私たちが買いに来るのがわかっているのでいつも取っておいてくれるのだ。
 これは非常にありがたかったりする。何せこの店で天文関連の書籍は一番上の階・5階の一番奥という配置なのだ。
 これだけで狭い階段を上る必要が無くなると言うだけでもありがたい。
「いつもありがとうございます」
 あたしと美樹は店長に頭を下げる。
「いや、高校生くらいの子じゃ君たちがお得意さまだからね」
 そういってレジを打つ店長。
「…そういえば…つい最近から、君たちと同じ学校の生徒らしい人が、その雑誌を買って行くようになったが…」
「へ〜、こんなマイナー本、美樹のほかにも買う奴がいたんだ…」
 店長の言葉にあたしは思わず感心してしまった。
「空ガはマイナーじゃないんもん!」
 横でふくれっ面になる美樹。
 スカイガイドはどちらかと言えば、少年少女向けの天文雑誌で、それほどマニア向けの内容は扱っていない。
 しかし、あたし達の世代を含めて『理科離れ』が進行しているこの世代では、売れ行きはいまいちのようである。
 美樹は代金を手渡すと、紙袋に入れられた雑誌を受け取る。
「毎度〜」
 店長の声に送られて本屋をあとにするあたしと美樹。
「店長さんのおかげで買い物が早く済んだね」
 買ったばかりの雑誌を片手に美樹があたしの方を向く。
「早く済んだのはいいけど、もっと見て行かなくていいの?」
 いつもなら雑誌を買ったあとも数時間は粘る美樹らしからぬ行動である。
「今日はいいわ、このあと喫茶店であなたの悩みを聞いてあげなければいけないんだから…」
「…うん」
 悩みか…
 人に話してなんとでもなるわけでもないんだけど…
「それにしても、空ガを買ってる他の生徒って誰だろうね?」
 美樹が話題を切り替える。
「…うちの部の誰かじゃないの?」
「何言ってるのよ。他の部員がこの雑誌買うような人じゃないの知っているでしょ?」
 あきれた顔をして言う美樹。
 確かに…他の部員はとりあえず入っておこうと言う程度か、又は美樹目当てのなんぱ野郎である。
 前者はいるだけまし(部費確保のため)なのだが、後者は鬱陶しいことこの上ない(特に美樹は)。
 まあ、大概は美樹の性格についてゆけなくて惨敗するのがオチだが…
 どちらにせよ、星に興味がない連中であることは間違いない。
「まあ、店長さんが言うにはつい最近って話だから、転校でもしてきた人か、最近興味を持ちだしたかのどちらかでしょうけどね」
「そういう人が、うちの部に入ってくれるとありがたいんだけどね…」
 ため息を吐く美樹。
「ま、興味があれば向こうからやってくるでしょ…」
 とあたしが言いかけたとき、
「ちょっと、いいかな?」
 見知らぬ男Aが並んで歩くあたしと美樹に声をかけてきた。
 しかし正確に言うとこの場合、声をかけられたのはあたし達…ではなく、美樹本人だけ、というのが現実である。
 ……実に悔しいことに……
 そこらの芋に声を掛けられるのならば、同情もするが、美樹に対しては老若男女…ではなく、美男美女…でもないか…
 とにかく、商店街など人が多いところを歩いていて、男に声を掛けられることが無い方が珍しい。
 うらやましくない…と、思いたい…
「お〜い、待ってくれ」
 あたしの切実な願いを胸に秘めていることなど、露にも思わず声を掛けてくるその男。
 美樹とあたしは声を掛けてきた奴は、大概無視する。
 こういう輩は大抵、ただのなんぱ野郎である。
 ほとんどの場合は、一回無視しただけで寄って来ないことが多いが、今日のは少し手強いようだ。
「美樹、お呼びよ」
 めんどくさそうに呟くあたし。
「え〜!? あなたじゃないの?」
 美樹は不服そうな顔をして言う。
「んなことある分けないでしょ! ほら! さっさと追い返す!」
 戯けたことを抜かす美樹の背中を反転させ、なおもしつこく追いかけてくる男に向けて突き飛ばす。
「きゃっ!」
 突然のことでバランスを崩したか、そのまま男に向けてなだれ込む美樹。
 突然な事なのは男の方も同じだ。
「なに!?」
  ぼすっ!?
 よける間も無く、美樹のぶちかましをまともに腹に受ける男。
「ぐはぁ…」
「痛たたたたぁ〜」
 美樹は頭を抱え、男はその場で七転八倒する。
 しばらくすると美樹は何とか立ち上がったが、男は打ち所が悪かったのか、いまだピクピクと身を悶えさせている。
「悪しき存在(もの)は、滅するが定め…」
 明後日の方向を見ながら、ゲームの主人公のような台詞を吐くあたし。
「私を犠牲にしないで!」
「美樹という尊い犠牲もあったが、これで平穏な日常が守れた… さらば美樹…君のことはたぶん3分で忘れるだろう…」
 美樹の抗議を無視して続けるあたし。
「あ、あんたら…滅茶苦茶するな…」
 なおも口上を続けようとしていたあたしに、復活した男が呻くような声を発する。
 どうやらダメージは大きいようである…
「はっ!? 美樹を尊っていたら、復活してしまった!?」
「死んでない、死んでない…」
 すっかりあきれている美樹に
「あんたがやったんだからとりあえず謝っておきなさい」
 と無責任な事を言うあたし。
「こらぁ! 責任転嫁するな〜!」
 ぽかぽかとあたしの頭を叩く美樹。
「まあいいわ。美樹、いつもの奴でさっさと追い返しなさいよ」
「全然良くないけど、あなたの追求は後回しにして目の前の敵を殲滅するのが先決よね…」
 すっかり悪の帝王役にされてしまっている不憫な男。
 まあ、それよりもあたし達のやり取りを見ていて、その表情は声を掛けるべきではなかったと思っているようだが…
「…では改めて… 何のご用ですか?」
 男の目の前に立って、にっこりと微笑みながら言う美樹。
「いや、ちょっと君たちに用があって…」
「では、次の質問に答えてください」
「へ?」
 間の抜けた返事を返す男。
 美樹はにこにことしている。
 実は美樹はこの質問攻撃がすっかりお気に入りになっていたりもする。
 まあ、うるさいハエ(なんぱ男)に囲まれるの覚悟で、わざわざこれをやりに商店街に来ることはないけど…
「では、第一問、オリオン座の星雲のメシエ番号は?」
(メシエ)42」
 …!?
 そ、即答!?
 …ちょっとはやるようである。
 美樹もちょっと驚いているようだが気を取り直して口を開く。
「…正解です。それでは第二問、南極老人星とは?」
「全天で二番目に明るい一等星・竜骨座(りゅうこつざ)のカノープス」
 …即答の上に、きちんとした説明付き!?
 あたしは心の中で思わず身構えてしまった。
 こいつ、かなり手強い!?
「この試練にここまで耐えた人はあなたが初めてです」
 美樹も正直驚いているようである。
「試練って…」
 ぶつくさ呟く男を無視して何やら思案を始める美樹。
 恐らく次の質問を考えているのだろう。
 実際のところ第二問を突破した者は今だかつていない。
 そのため、次の質問が何になるかはあたしにも分からない。
「…では、第三問、これが恐らく最後の問題です」
「はあ…」
「植物の名前の星座は?」
「……」
 男はちょっと思案顔になったが、次の瞬間には顔を上げきっぱりと言った。
「無い」
  ぐはぁ!?
 せっ、正解…
 そう、全天八八星座あるうちに植物の名前の付いた星座は存在しない。
 これで適当な名前が出てきたりしたら、一発で似非であることがばれるのだが…
 つまりこの男は少なくとも全天の星座の名前を一通り見たことがあると言うことだ。
「…正解です」
 美樹はあきらめ顔になって呟いた
「では、私に何の御用ですか?」
 おお、美樹にここまで言わせた奴は初めてだ!
 これでこの男はあたしの記憶に少しの間はとどまるという栄誉が与えられるだろう。
「…いや、別に君じゃないんだけど…」
 申し訳なさそうに言う男。
「…え? じゃ、じゃあ…」
 美樹が後ろを振り返る。
 そこには成り行きを見守るあたしがとーぜん立っている。
「あ…あ、あれ…?」
「あれって、指を指すなぁ〜!」
 あたしを指さしながら唖然とする美樹に、怒声を浴びせる。
 あたしは異形の人かい!?
 そう突っ込みたくなったが、とりあえず美樹の不敬な発言・行動はおいといて…
「じゃ、あたしに用なの?」
 あたしの言葉に頷く男。
 今まで男としか認識していなかったが(あたしと美樹から見たらこの程度である)、よく見るとうちの学校の制服を着ている。
 そんなものにも気付いていなかったのかと言われそうだが、女子の制服に比べ男子の制服はあまり特徴が無く、近隣の学校の制服と大してデザインが変わらないのである。
 見分けを付けるには、ネクタイのデザインくらいなものである。
 そのブレザーのネクタイの色からして、あたし達と学年は同じだが、顔を見ると老けているとは言い過ぎか…若干年が上に見える。
 …まあ、そこらの芋男に比べれば遥かにマシ…というかかなりいいほうに属していると思う。
 これだけ(顔が)まともな男子生徒が同じ学年にいれば、噂に聞こえてきてもおかしくないのだが…
「うちの生徒みたいだよ」
 美樹もそれに気がついたようである。
「そのようね」
「と言うことは…」
 いきなり美樹が一歩前に出る。
「決定! おめでとうございます〜! パチパチパチ」
 と口で言いながら手を叩いている。
 そして、おもむろに茶封筒を取り出し、男に手渡す。
「…これは?」
「景品です。開けてみてください」
 男は手渡された封筒を開封(元々糊付けはされてはいないが)し、中に入っていた二つ折りになった紙を取り出す。
「こ、これは!?」
 その紙に書かれた文面を見て、驚愕の声を上げる男。
 その紙をあたしも横からのぞき込む。
 『入部届』
 そこにはそんなタイトルが書かれていた。
「天文部にようこそ! 我が部はあなたのような人材を求めていました!」
 美樹は満面の笑顔を浮かべて言う。
 その入部届には既に入部希望部名の欄が埋められているのが、なんとも…
 美樹…あんたいつもそんなもの持ち歩いていたのか…?
 4年の付き合いがあるけど、今だにあたしの知らない隠し技を持っているような気がする…
「…いや別に、天文部に勧誘されに来た訳じゃ…」
 入部届を手にとても困った顔をしている男。
 そりゃそうだ、道ばたで人に声を掛けたら入部届を渡されて、「天文部に入ってください」なんて勧誘されたらあたしだって困る。
「…まあいいわ、あなたの入部の件はまた今度にして。それより用件は?」
 このままにしておくと本題にいつになっても入れそうになかったので、横やりを入れるあたし。
「そうしてほしい…」
 ため息混じりに呟く男。
 既に本題に入る前に当の本人が力尽きかけている…
「話があるんだけど…その前に俺の顔に見覚えないか?」
 覚えてないかって言われても…
 うちの学校は一学年はそれほど人数が多いわけでないが、200人くらいゆうにいる。
 廊下ですれ違ったくらいでは、顔も覚えているはずもない…が…
 …が…何故か一つだけ思い当たる節があった。
 そう、記憶から削除したい忌まわしき出来事に出てきた一人の人物…
 よく見ると間違いない。
 背中から生えていたあれは存在しないが…
 ……しかし……
「思い出したみたいだな…」
 あたしの顔を見ていた男が呟いた。
「…あんたのおかげであのあとも大変だったよ…」
 その言葉でハッキリとした!
  ごしゃっ!
 次の瞬間、あたしの渾身を込めたリバー撃ちが、男の腹に突き刺さっていた!
「ぐはぁ!?」
 またもその場で悶絶する男。
「はあ、はあ、はあ…」
 普通では考えられないほど力を込めたせいか、あたしの息まで荒くなっていた。
「な、なにを…」
 息絶え絶えで呟く男にさらにつかみかかろうとしたあたしを後ろから美樹が押しとどめる。
「ちょっ、ちょっと! 一体どうしたの!? この人あなたの知り合いなの?」
「知っているけど、知りたくない!」
 訳の分からぬ言葉を発しながら、男につかみかかろうとするあたし。
「放せ! 美樹! 可憐なる乙女を冒涜した罪は重いのよ!」
「あなたが、可憐か乙女かは違うと思うけど落ち着いて…」
 必死に押しとどめようとする美樹。
「こいつはあたしの大事なものを奪ったんだ!」
 あたしの叫びに美樹はおろか、周りを歩いていた通行人達までがこちらを凝視する。
 ……あ……
 自分で言っておいてとんでもないことを口走ったような気がした…
「…あ…」
 後ろであたしを止めようとしていた美樹までが口を開けて呆然としている。
 がはっ!? 周りからめちゃめちゃ嫌な視線が突き刺さって来るのを感じる…
 横目で周りを見ると、案の定、学生やら主婦やらの通行人から好奇の視線が集まっているし…
 ……とりあえず、この場は逃げるのみ!
「…とりあえず来なさい!」
 あたしは今だ悶絶している男を無理矢理引っ張り上げズカズカと歩き去る。
「…あっ、ま、待ってよ…!」
 それを追いかけるように美樹がついてくる。
 律儀にもあたしと男の荷物を抱えながら…
「…現実世界でも全然かわらんな…あんた…」
 男がぽつりと呟いた言葉をあたしは聞き逃さなかった。
「黙れ!」
 あたしは、後ろからついてくる男の顔面にカウンター気味に拳を打ち込んだ。
「黙ってついてきなさい!」
 顔面を抱えながら素直についてくるようになった男を引っ張りながらあたしは商店街のはずれの方まで歩いていった。
         ☆
「…で、あたしに何の用なの?」
 あたしの目の前に座って沈黙している男に向かってそういい放つ。
 あのあと、商店街のはずれにある喫茶店に不貞の輩を引っ張り込み、向かい合わせのテーブル席に無理矢理座らせた。
 あたしの隣には荷物を持ってきた美樹も座っている。
「まあ、大した用じゃ無いんだが…」
 あたしの表情を見ながらため息をつくように言う。
「そんな目くじら立てないでくれ…親の敵じゃないんだから…」
「お、親の敵より憎いわぁ!」
「そりゃ親もかわいそうに…」
 ……!!
「ふが!?」
 あたしは目の前の男の口に両手を突っ込み、左右に開ききる!
「ふが、ふがふが!?」
「戯れ言を言うのはこの口か〜!!」
 あたしは軽口を叩く男に制裁を加える。
「お、落ち着いて! 大切な新入部員なんだから!」
 またも止めに入る美樹。
 どさくさに紛れて不当な事も言っているが…
「…うご…」
 ようやく解放された男が口を押さえている。
 あたしはテーブルに置いてあったナプキンで手を拭き、再び席に腰を下ろした。
「…で、用件を聞こうじゃないの…」
 ようやく落ち着いたあたしは再び口を開く。
「いや、ちょっと一緒に来てもらいたいところがあるんだが…」
「なんで、あんたなんかに付いていかなきゃならないの!?」
 またも攻撃されると思ったのか身構える男。
「いや、あのことについて、話をしたいんだが…」
「あのこと?」
 あの事と言われて色々と思い当たる節はあるが、とりあえず『夢』の事であろう。
 さっきこの男があたしに向かって言った言葉「現実世界でも、全然変わらない」と言う言葉からすれば、あれは確かに夢であり、その同じ夢をこの男とあたしは共有していたことになる。
 ……非常に不本意だけど……
 そして、それをあたしも男も覚えていた。
 夢の通りならこの男はあの夢の世界がどのようなところなのかを知っているはず…
「夢についてね?」
 あたしの言葉に頷く男。
「夢?」
 首を傾げる美樹を無視してあたしは言葉を続ける。
「あの世界が一体どういう世界なのか知らないけど、あたしを巻き込まないで頂戴! それだけよ!」
「いや、まだよくわからんけど…このままだとまた巻き込まれるよ」
 あたしの一括をさらりと流し、こともなげに言う男。
「巻き込んでいるのはあんたじゃないの!?」
 あたしはテーブルに両手を突き立てながら叫ぶ。
「いんや、俺のせいじゃないよ」
 困ったような表情で手をぱたぱたと振る男。
「それじゃ…!」
「あの〜…」
 あたしの横から申し訳なさそうな声がする。
「なに!?」
 振り向くとそこにはあたしの声に吃驚したウェイトレスのお姉さんが立っていた。
「すいません…他のお客さんにご迷惑が…」
「はっ!?」
 あたしは慌てて周りを見ると他のお客の視線があたしを中心に集まっていた。
 ……かはぁ!?
 またやってしまった…
「…すいません」
 あたしは頭を下げてイスに腰を下ろす。
 周りの視線をものともせず平然としている男。
 美樹に至ってはもはや他人のふりをしている。
「…で、あたしをどうするつもりなの…?」
 恨めしげな視線で男を睨め付けるあたし。
「だから一緒に来て貰いたいだけだ」
「何のために?」
「会わせたい人がいるんだ」
 と言って男は腕にはめていた時計の針を読む。
「十七時か…まだ、間に合うな…」
 男はあたしに視線を戻し、「どうする?」という。
 そこで考え込むあたし。
 ……確かに、夢の中といえ、訳も分からずあんな事に巻き込まれるのはごめんである。
 ここは一つ、その理由を確かめるのも悪いことではないと思うが…
 あたしは目の前に悠然と座る男を見る。
 ……どーも、信用にならないんだよな…この男……
「…分かったわ…ついていってあげようじゃないの!」
 意を決して言うあたし。
「やれやれ…もう少し素直についてきてくれてもいいようなものだけどな…」
 と首を左右に振る男。
「あんたなんかに言われたくないわよ!」
「…何も知らない仲じゃないだろう。だってキス…」
 男の言葉が空気に伝わるよりも早くあたしの手が動いていた。
「まだ言うかこの口は〜!!」
 今度は口を縦に無理矢理こじ開けるあたし。
「ふがっ! ふがふがっ!!」
 何やら抗議の声を上げている男を無視して、あたしはひたすら口を広げ続けた。
 後ろではあたしの腰をつかんで止めようとする美樹がいたりするが、怒りの火のついたあたしには無駄であった。
 ……この騒ぎは、ウェイトレスのお姉さんが店長さんを連れてきて、あたし達が店を追い出されるまで続くのであった……
         ☆
「ったく…酷い目にあった…」
 男は顎をひねりながら呟いた。
「それはこっちの台詞よ! これで二度とあの店には近寄れなくなっちゃたじゃないの!」
 先ほどの喫茶店を追い出されてから、あたし達は駅の方に向かって歩いていた。
 当初の予定通り、駅ビルに向かっているのだが…
「ねえ…あの人と一体どういう関係なの?」
 当然の質問を今更ながらしてくる美樹。
 ……まあ、今までの騒ぎでそれすらもできなかったという説もあるが……
 とわいえ、どういう関係と言っても説明には非常に困る。
 あたしだって、あの男を『知っている』訳ではないのだ。
 夢を共有していたと言う不可思議な事を除いて…
「……」
 あたしが回答に困って、沈黙していると前を歩いていた男が振り返ると
「まあ、一応知り合いってところかな…」
 と勝手に回答する。
「…知り合いにはなりたくないけどね…」
 憮然とした表情で突き放すあたし。
 美樹はあたしと男を交互に見ながら、呟く。
「夫婦漫才師…」
  ぐげっ
 あたしの電光石火のラリアートが美樹の首に突き刺さる。
 これにより、美樹はしばらく沈黙することになった。
「…親友でも容赦しないな…」
 それを見ていた男が、呆然として見ていた。
「親友じゃ無かったらこの程度では済まないわよ…」
「これがこの程度なのか…?」
 男は首を押さえてのたうちまわっている美樹を見下ろしている。
「不適切な発言をした美樹が悪い」
 きっぱりと言い切って男に振り向くあたし。
「で、どこにつれて行くつもりよ?」
「とりあえず、あそこまで…」
 と言って、男はその場所に指を指す。
 その指の先には、夕闇に染まった町外れの小高い丘が見える。
 その中に、白い建物が浮かんでいた。
「あそこって…病院じゃないの…?」
 あたしは目を凝らしてそれを見ながら言う。
 この町で唯一、入院病棟がある大きな病院。
 周りを森で囲まれた綺麗なところにあるのが特徴的で、たまにホテルか何かと勘違いされることがある。
「そ、これからあそこに行く」
 そういって歩き出す男。
 その後を黙って付いて行くあたし。
 この男を信用しているわけではないが、嘘をついているような気がしないからだ。
「美樹、今日はつきあってくれてありがとう…これからあたしはこの男について行くから…」
 そこで言葉を区切って、あたしはビシッと指を男の背に向ける。
「あたしに何かあったらこいつのせいだからよく顔を覚えておいてね!」
「…信用ゼロかい…」
 ジト目で呟く男。
「…分かったわ」
 美樹は静かに微笑みながら言う。
 しかし、その目はいやらしい目をしている。
「…何よその目は…」
「…全く、何を悩んでるかと思えば男とはね…」
 いやはやと言った表情で首を振る美樹。
「…んな!?  冗談でもそんな事言わないでよ!」
 あたしは、思わず叫び声をあげた。
「何で、あたしがこの変態に!」
「どーでもいいが、人を勝手に変態呼ばわりしないでくれ…」
 後ろで疲れた声を上げる男。
 当然そんな呟きは無視してあたしは言葉を続ける。
「いい! この男に付いて行くのは確かに悩みを解決するためには違いないけど、そんな浮ついた話じゃないのよ!」
「はいはい、全く羨ましい事で…」
 あたしの言葉を全く意に介していない美樹。
 大体、町に出れば声を掛けられまくる美樹には言われたくない台詞である。
「いいじゃない、取りあえず顔もいいし、なおかつ天体に詳しいなんてあたしが代わって欲しいくらいよ」
 美樹…あんたの場合、後者の方が重要だろう…
 まあ、天体の事はともかく顔がいいのは取りあえず間違い無い。
 悔しいが、この男、顔は悪くない。
 これで顔も悪ければ、言う事が無い(?)のだが如何せんこの性格の悪さである。
 これまでどれだけの女性を泣かしてきたか想像に難くない。
「…もしもし、もしかして俺の悪口考えていないか?」
 何やら思案としているように見えたあたしに向かって男が言う。
「気のせいよ。何も顔がいいけど性格悪いとか、これまでどれだけの女性を泣かしてきたのかとか考えていないから」
「十分考えていたみたいだな…」
 顔をしかめる男。
「それより遅くなると不味いんでしょ?」
「…ああ、そうだったな」
 再び歩き出す男。
「それじゃ、また明日」
 あたし達を見送りながら、手を振る美樹。
 日に陰って良く見えないが、その表情がにやついた笑いである事は間違い無い。
 …美樹…明日覚えてなさいよ…

第2話 前編 完

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