夢の残照
          風野 旅人

 プロローグ

 例えば、夜空に浮かんでいる自分を想像してみる。
 眼下に広がる光の海…街を彩るイルミネーション…必死に暗い何かを隠すように光る灯火…
 そして、頭上に輝く星たち…
 下からの光で多くは見えないけれど、それでも幾千を越える星たちが自分達の存在を示すかのように光り輝いている…
 その中にパラシュートも、グライダーも無くただ宙に浮いている自分…
「そう、こんな感じ…」
 あたしはぼんやりとその空を眺めていた…
「…って、何であたしがここにいるのぉ!?」
 そう、あたしはその場に居た。
 あたしの足元には何も無い。
 つまり、言葉通り空に浮いているのだ!



 第1話 夜空に舞うもの

「…取りあえず落ちる心配は無さそうね……」
 あたしは少し冷静になって、足元を踏みしめてみた。
 ふわりとした感じがして、これ以上、下がるような感じがない。
 それを確認してから、あたしは周りを見渡してみた。
 地平線の向こうまで見える高さにいることが改めて分かる。
 そして、眼下に広がる町は間違いなくあたしが住んでいる町だ。
「あれはいつも行っている本屋だし…あそこにあるのはこの前服を買った洋品店だし…」
 あたしは町を目を凝らして見下ろしながら、自分の知っている建物を列挙しだした。
「…って、こんなことしている場合じゃなかったっ!」
 自分の通っている高校を指差したところでようやく我に返った。
「…問題はどうしてここにいるのかと、帰る方法よね…」
 ふと気が付いたが、こんな上空に居るのに全く寒くない。
 上空は強い風が吹いているというが、それを感じる事も無い。
 今のあたしは、風のない空中で留まっている風船の如くの状態である。
「…分からない…何であたしここにいるの?」
 とその時、気付いた事があった。
 あたしの服はパジャマのままであった事だ。
「…と言う事は…」
 常識で考えれば一つしかない解答をあたしの頭は導き出した。
「これは夢! そう夢しかない!」
 納得顔で高らかに宣言するあたし。
「な〜んだ、夢かぁ〜」
 あたしは笑いながら星空を見上げた。
「寝る前に、星の本なんか読んだからこんな夢を見たのね」
 その時、星以外の何か光るものが目に映った。
 それは、ふらり、ふらりと揺らめきながらそれはあたしに向かって降りてきた。
「…羽根…?」
 何かの鳥の羽根だろうか?
 あたしに向かって一枚の羽根が降ってきた。
 思わずあたしはその羽根を手に取ってみる。
「綺麗な羽根…どんな鳥の羽根なんだろう…」
 あたしの手に落ちてきたその羽根は、まるで真珠か何かの宝石のような白い輝きを放っている。
 あたしがその羽根を見つめていると視界の端を同じように光る何かが上から通り過ぎた。
 そちらに視線を向けると、その光るものは手にしている羽根と同じ物だった。
 再び頭上に視線を戻すと、あたしに向かって無数の羽根が舞い下りてきていた。
「わぁ〜!」
 あたしは美しく舞い下りる羽根に両手を伸ばしながら、その光景を見つめていた。
「すっごく、綺麗…」
 あたしは溜め息交じりに呟いていた。
 羽根は絶えるどころか、次第に密度を増している。
「どこから降って来るんだろう?」
 あたしは再び上を見上げると、舞い落ちてくる羽根を避けながら、それらが落ちてくる一点に目を凝らした。
 そして…星の輝く夜闇の空の中で…あたしはそれを見た…
 あたしを取り巻いている羽根たちが舞い来るその一点には、白く輝く何かが動いている。
 盛んに動き回っているそれは、何かの踊りのようだ…
 その何かがその場で舞うたびに、あたしの周りが羽根で満たされゆく。
 しかし、ここからではそれ以上の事は分からない。
「う〜… もっと近ければ良く見えるのに!」
 あたしは上を見上げたままもどかしげに呟いた。
 だが…次の瞬間…
  ぐうっん!
 あたしの体は今の場所よりも更に上に舞い上がっていった!
 まるで巨大な掃除機に吸い込まれるように上空へと体が持ち上げられる。
「のぁぁぁぁぁ〜!?」
 けれども次の瞬間には、スイッチが切られたように急停止し、再び宙に留まった状態になった。
「…さっすがぁ! あたしの夢! あたしが願えばそのとおりになるのね!」
 今の現象は夢の中の一出来事として片付けるあたし。
 …冷静に考えると、いくら夢でもそんな思い通りになるはず無いんだけどね…
 取りあえず今の現象についての考察を一瞬にして片付けたあたしは、再び上を見上げたが…
「あっ、あれ!? いない!?」
 先ほどまであたしの上で舞っていた何かはその場にはいなくなっていた。
 あたしが上空に登っていたのはほんの一瞬の事だ。
 その一瞬であたしの視界から消える事が出来るほどのスピードなんて、普通の鳥でも無理だと思う。
 そう思ってあたしは、辺りを見渡した。
「あっ!? いた…」
 それは直ぐ(10mも離れていない)そこにいた。間抜けなことにあたしはすぐに気がつかなかったけど…
 それは人だった。
 ただし、人の形をしている何かと言った方が正しいかもしれないけど…
 ぱっと見だけでも、背中に翼が生えていると言うだけで既にじゅーぶん普通の人じゃ無いと思う…
 あたしは横で未だに何かを舞っているそれをまじまじと見つめた。
 白い肌…よく雪のように白い肌って良く言うけど、この人の場合白すぎて透き通るような白…言うなれば白い光みたい…
 その肌に、雲のような白い薄手の服を身に付けていた。
 こんな上空でそんな格好をしていたら百発百中で風邪をひきそうだけど…
 パジャマ姿の今のあたしがいえる事じゃないけどね…
 背中から生えているその白い翼は、夜空に淡く光りを放っている。
 あたしが手にした羽根もその一部だったのだろう、今もその翼から絶え間無く地上に羽根が舞い下りて行く。
 そして…その表情はまさしく天使だった。
 天使のやさしい笑みとは良く言うけど、この人の笑みは人を男女分け隔て無く引き付けてやまない何かを持っている。
 かく言うあたしも、その笑みを見てくらっとしてしまった。
 …あたし…天使が出てくる本とか読んだかなぁ…
 あたしは、そのまま固まったようにその天使の舞を眺めていた。
 よく見てみると舞を舞っていると言うよりも、自分の羽根とそしてその手に持っている淡く赤い光を放っている細い糸にじゃれているようにも見えるけど…
 不意にその『天使』がこちらに顔を向けた。
 そして何事もなかったようにあたしにその笑みをむける。
「あはっ、あははははははー…」
 突然の事にあたしは思わず乾いたような笑いを返してしまった。
 はっきり言ってこの笑みで「私のために死んでね」なんて言われたら、世の男どもは惜しげもなく命差し出すわね…
 今時居ないよこんな、歪んでそうもない清楚な女性なんて…
 その人は今もあたしを見つめたまま、微笑んでいる。
「えっと…ここで何してるんですか?」
 めちゃくちゃ間の抜けた質問をしてしまった。
 あたしの問いに首を少し傾けながら、あたしに近づいてきた。
 かといって翼がはためいているわけではなく、そのままの姿勢で平行移動してきた。
 これを暗闇とかでやられたら怖いわね…
 あたしのすぐそばまで来ると、そっと左腕を差し出してきた。
「え… あ、はいはい…」
 めちゃくちゃ罪作りな表情そのままに微笑みかけているその人に、あたしも手を差し伸べてしまう。
 ……が……
「美琴ー!」
 あたしたちのさらに上から叫び声が響き、あたしは思わず手を引っ込めてしまった。
 だ、誰!? 声からすると男みたいだけど…
 目の前の人もその声がした頭上に顔を向けている。
 しかし、その顔には表情には変化が無く、先ほどと同じように笑みが浮かんでいた。
「よーやく、見つけたぞ!」
 その声の主は、あたし達の頭上から滑るように降りてきた。
 あたしと目の前にいる人(美琴って呼ばれていたみたいだけど)の近くに降り立ったその男は、こちらを睨める。
 見た目で言えばあたしより2歳くらい年上だろうか…?
 体格はそれほど大きいわけじゃ無いけど、実際の年齢より高く見えるような落ち着いた雰囲気がある。
 言葉づかいからじゃあんまり落ち着いている様には見えないけどね…
 そして、その男の背中にも翼が生えていた。
 ただ、美琴と呼ばれた人とは違うのは、はっきりと羽根と分かる形をしている事だ。
 美琴の羽根は、透明でこの世のものではない感じがしたけど、この男の羽根は本物の鳥…例えば鷹とか鷲の羽根と同じに見える。
 そして、広がった翼の片方だけでも男の身長の2倍くらいあるかもしれないほどの大きな翼である。
「ち、ちょっとぉ! あなた一体何者…」
 しかし、その男はあたしの言う事を黙殺して、美琴と呼んだ少女を睨めつけたまま口を開く。
「また、こんな所で遊んでいたとはな…」
 と言いながらその男は無造作に美琴に近づいて行く。
 ところが美琴は特に気にした様子も無く、手にしていた赤い糸を指で弄んでいた。
 だが…
  ぽんっ!
 やたらと軽い音を立てて、右手に持っていたはずの赤い糸が突如として…
「なぁ!?」
 黒く塗り固められた銃に変わっていた…
「ちっ!」
 男は舌打ちをするとすぐさまに、その場を横に飛びのく。
 絶句するあたしの目の前でその銃が火を噴く!
  パァーン! パァーン!
 美琴は適当としか思えない標準の付け方をしながらその手に持った銃を乱射する。
 それでも先ほどからの笑みは消えてはいない…
 それが、なおさら先ほどまでの優しげな雰囲気と相俟(あいま)って異様さを増幅させている。
 それを何とかかわし続けてきた男だが、殆ど流れ弾のような弾丸が直撃しそうになった!
「ちぃっ!」
  カァーン!
 硬い音を立てて今まさに迫り来ていたはずの銃弾を男は素手で叩き弾く!
 嘘ぉ!
 …殆ど…いや完全に常識外れな展開をし続ける二人……
 あたしは既に傍観者その一に成り下がっていた。
 のだが…
 おもむろに銃口があたしの方向を向いた。
「あ、あたしは関係ないわよぉ〜!」
 叫びを上げながら横に逃げるあたし。
 もはや美琴にとって目の前に居るものすべてが敵なの!?
 あたしの訴えを無視し、引き金を引こうとする美琴。
「やめろ! 美琴!」
 男は叫びながら美琴とあたしの間に飛び込んでくる。
「風よ! 我が命に従いて疾風の障壁となれ!」
 美琴が引き金を引くより一瞬早く男が呪文のようなものを叫ぶように唱えた。
 それとほぼ同時に美琴から無数の銃弾が放たれる!
  カーンっ! カーンっ! カーン!
 しかし、硬い金属音のような音を響かせ、男とあたしに向けた銃弾はすべて八方に弾き返される!
 美琴とあたしの間に見えない壁のようなものがあるらしい。
 恐らくさっき男が唱えたのは、これを張るためだったのね…
 それを見た美琴は、またしても表情一つ変えることなく手にしていた銃を軽く振った。
 一瞬にして、元の赤い糸に戻ってしまった。
 そして…またあの神秘的な笑みを顔に浮かべた。
「あ、あはは…」
 またしてもそれにつられて笑いを返してしまうあたし。
 が…
「こらそこ! 油断するな!」
 男の叱咤が飛ぶ。
 とその時、また赤い糸が変化した。
 それは複数に分裂して美琴の周りでふわふわと浮かぶ光の玉に変化した。
 一見蛍のような感じがするけど…
「どぁ!? いきなり霊光弾か!?」
 叫ぶその男は、いきなりあたしの方を振り向き、
「取りあえず逃げるぞ!」
 といってあたしの手をつかんだ。
「ちょっ、ちょっと! 何処に連れて行く気よ!」
 抗議をするあたしに男は、
「死にたくなければ、大人しく掴まれ!」
 と一喝した。
 その時、突然目の前で白い光が爆発した!
 そしてガラスが砕け散ったような音を立てて、目の前で目に見えない何かが崩れ落ちた。
 うぅ〜、目がチカチカする…
「な、何なの…」
「障壁が壊された。今のうちに離れておかないと…」
 あたしの呟きに手を引っ張っている男が答える。
 男はあたしの手を引きながら、美琴と呼ばれた少女と同じようにその大きな翼をはためかせる事無く、夜の上空を高速に飛翔する。
 ……これってただの飾りなのかしら……
 常識外れなスピードで先ほどいた場所から離れて行く。
 あっという間に、美琴の姿が小さな白い点へと変わる。
 でも、後ろから何か光るものが追ってきているような気がするんだけど…
「ねえ、あれって…」
「美琴が放った霊光弾だ」
 振り向きもせずに答える男。
「レイコウダン? なにそ…」
 あたしの言葉が終わる前にあたしの眼前を何かがかすめていった。
 それは女のあたしの拳くらいの大きさの光る物体…
「い、今のが…」
 声を震わせながら尋ねる。
「あれが霊光弾だ。直撃したらあんたくらいなら一撃で四散するだろうな」
 とてつもなく恐ろしい事を軽く一言で言ってのける男。
 そうこうしているうちに、先ほどより数を増した霊光弾があたし達を追いかけてくる。
「何処まで逃げれば追ってこなくなるのよ〜!」
 あたしはたすきの如く風に身体をなびかせながら叫んだ。
「美琴に聞いてくれっ!」
 吐き捨てるように叫ぶ。
「な、何なのよ! あなたもあの美琴って子も、こんな常識も物理法則も無視したこのやり取りはぁ!」
 あたしを引っ張っている男に怒鳴り声を盛んに送る。
 ……今のあたしもじゅーぶん物理法則を無視しているかもしれないけどね……
「…物理法則が無いと言ったら、この出来事も常識になる…」
 男は落ち着いたような口調で呟いた。
「物理法則がない? じゃ、ここは…」
 あたしの言葉が続く前に、背後から無数の光弾が追いついてくる。
「やばいわよ! 追いつかれている!?」
「スピードはこれが限界だ! 重いお荷物抱えているからなっ!」
「………………」
  ごんっ……
 鈍い音が流れる風の中に消える。
「いってぇ〜! 何するんだっ!?」
 あたしは、無言のうちに男の頭を握り拳で打ちのめしていた。
「女の子に向かって重いとは何事よ!」
 あたしは思わず男の首根っこを引っつかみそうになりながら、怒鳴りつけた。
「細かい事を気にしている場合じゃないだろう!」
「あたしにとっては、じゅーぶん大事よっ!」
「とにかく!」
 男はその言葉で話を終わりにしようとした。
「今はあんたと押し問答している場合じゃない! あんたが居るおかげでこっちが攻勢に出られないんだからなっ!」
「なによそれ! 足手まといってこと!?」
「言葉通りだ。美琴があんたを攻撃しても、あんたは防ぐ事もできないだろ」
「当然よっ! あんな常識外れな事ごく普通のか弱い女の子が出来るわけないでしょうがっ!」
 思わず胸を張って言うあたし。
「そんな威張って言われても困るが…」
 頬をポリポリ掻きながら本当に困った顔をする男。
「そんな事より、ここは一体何処なの!? って言うか、何であたしはここに居るの?」
 あたしは当然の疑問を今だ困った顔をしたままの男に投げつける。
「分からん」
 あたしの質問に一言で答えると、男は顔を再び虚空へと向け、あたしの手を引いたまま夜空を飛び始める。
「ち、ちょっと! あなたさっきこの世界がどうとか言っていなかった!?」
「分かっているのはこの世界の事だけだ。あんたがここに居る理由はこっちが知りたいくらいだ」
 あたしの言葉に、男は面倒臭そうに口を開いた。
 男の言葉にあたしは沈黙した。
 ……そう言えばあたしってどうしてここにいるんだろう……
 初めからの疑問だったけど、再び考えてみる。
 あたしは確か、夢…そう夢と判断したのよね…
 でも…夢にしてはいやにリアルよね…
「夢…じゃないのね…これって…」
 考えていた事が思わず口に出てしまった。
「…半分あたりだ…良く気が付いたな…」
 驚いた口調で男が呟いた。
「えっ?」
  ドォォォォォン!
 あたしの驚きの声と、何かの爆裂音が同時に鳴った。
 至近距離で鳴り響いたその音にあたしの耳は鼓膜を持っていかれそうな感じがした。
「っう…」
 あたしは思わず目を閉じていた。
 耳がギンギンする…
「やられた…」
 目を開けると、あたしの手を放し空中に静止したまま男が、顔をしかめていた。
「どうしたの?」
 問うあたしは男が見ていた方に視線を滑らした。
 その先には、男の左翼がまるで消え去ったかのように半分が無くなっていた
「ひっ!? だ、大丈夫!?」
 あたしはグロテスクな場面を想像して、一瞬視線を逸らしてしまう。
 けれども、そこからは血が吹き出ている様子も無いし、男も痛みを抱えている様には見えない。
 恐らくあの霊光弾っていうのが当ったんだろうけど…
「ああ、身体には当らなかったからな…それも時間の問題だな…」
 あたし達が先ほどまで居た方角に目を向けると、白い光弾の数が先ほどよりも遥かに増えている。
 標準が適当なのが幸いしているけど、今みたいに下手な鉄砲数うちゃ当るの法則で直撃する可能性が高くなってきている。
「ど、どーすんのよっ!」
 あたしは吃ったような声を張り上げて男に詰め寄る。
「いや、取りあえず逃げるには支障は殆ど無いが…」
 といって男は再び半分にもがれた片翼に視線を戻した。
「でも、これじゃ飛べないんじゃ…」
 …でもこの翼、単にあるだけではばたいていた様子はないんだけどね…
「ああ、これか… まあこれくらいなら…」
 男はあたしの手を放すと、折れた翼を自分の近くに寄せ、手をかざした。
 そして両目を閉じると、口より静かに言葉を紡ぎ出す…

 ―――天空(そら)にあまねく風の精霊よ……
  我と汝らの盟約によりここに願う……
  我と汝らを別け隔つ、蒼穹(そうきゅう)の地へと舞う力を、今一度我に与えん!

 一喝するように男が叫ぶと、何処からとも無く辺りから細かい光の粒子が折れた翼に集まってくる。
 そして、それらが集まってもとの翼の形を作り出し、光を失ってゆく…
 全ての光が消えた後、男の翼は元の形を取り戻していた。
「これでよし…」
「これでよしって… この翼って何なの!?」
 あたしは、男の背中から生えている元の形に戻った翼に手を触れてみた。
 その感触はそこらの鳥の羽根とさして変わらない。
「これか…自分が空を飛ぶ時のイメージを浮かべる時には翼があった方が自然なんでな…」
 そう言うと、男は触れていた翼から手を放した。
「イメージって…これってイメージなの? この空を飛んでいる事が…」
 男は無言で頷くと、視線をあたしの後ろに向けた。
 その視線の先には無数の光弾が発射準備を整えて、夜空に星のような光を放っている。
 撃ってこないところを見ると、光弾を纏わりつかせたままこちらに近づいてきているのかもしれない。
 ……あの美琴と呼ばれた少女が……
 この男の背に生えている翼を一瞬にして消滅させてしまうようなものがあたし自身に直撃でもしたら…
 ……そ、想像したくない……
「…どうするの…?」
 あたしはちょっと脅えたような声を上げて白い光弾が浮かぶ虚空から振り返る。
「…どうするって言われてもなぁ…」
 男は虚空を見つめたまま、あいまいな返事を返す。
 その顔は…やっぱしあんまり深刻に考えてなさそう…
 先ほどから…まあ、こいつとあったのが先ほどだけど…見た目の割にみょーに軽薄な感じがするのよね…こいつ…
 というか、多少のダメージを受けても生き残る自身があるみたいだし…
 今だってあたしがいるから逃げてるだけって言ってるしね。
「…取りあえず、あんたをここから帰す事を先に考えた方が良いな…」
「…てっ! それを先に考えるのが普通でしょうがぁ!」
 あたしは男の襟首を引っ掴んで左右に捻じった。
「く、くるしひ…」
 本気に入っているらしく、まともに男の顔色が青くなる。
 …こいつは…絶対あたしの事軽く考えてるなぁ〜!
 こいつの行動を見ていると、温和で通っている…はずの…あたしでも殺意が目覚めてくる。
 しかし、本当に死なれると困るので取りあえず手を緩めるあたし。
「はぁはぁ…あんた…見掛けによらず力が強いな…」
 息を切らせながら呟く男。
「そんな事より、あたしをここから帰す方法あるんでしょうね!?」
 目を吊り上げて男を睨むあたし。
「…と言うか、普通ならもう帰っていると思うんだけどな…」
 男は先程まで締まっていた首をさすりながら呟く。
「帰ってるって…どーいうことよ…」
「いやぁ…普通の人なら最初に美琴に襲われた時に元の世界に帰っているはず…」
 そこで男は中途半端に言葉を区切り、こともあろうにあたしを…
「きゃぁ!?」
 抱き寄せたのだ!
「ちょ、ちょっと! 何する気よ!」
「じっとして頭を下げてろ! 」
 男は振りほどこうとするあたしを一喝する。
「…美琴…」
「…え?」
 男はあたしを見ておらず、先程まで何も無かったその空間を睨めつけていた。
 あたしは男に抱かれたまま(非常に不本意)振り向いた。
 そこには先程見た時に浮かべていた微笑みを顔に貼り付けた少女…美琴が浮かんでいた。
 あの霊光弾とか言う光の弾を纏わりつかせたまま…
「い、何時の間に…」
 あたしの呟きが終わるより早く、美琴が腕をあたし達の方に振り下ろした。
「いやぁ…」
「くっ…」
 直撃を覚悟したあたしは、顔を背けた。
  ザシュッ!
 しかし、何かを抉ったような音がしただけで、あたしは何とも無かった。
 そむけていた顔を持ち上げて後ろを振り向くと、男の巨大な翼があたしと男を包んでいた。
 その翼が、霊光弾の乱打を防いでいるのだ。
 その外側からは、ザシュッ、ザシュッとい不気味な音が聞こえている。
「あなた! こんな事が出来るなら早くやりなさいよ!」
 しかし男は何も答えない。
 男の顔を見ると額に汗を浮かべ、顔を歪めていた。
 先程までの余裕の表情は何処にも無い。
「…意識を集中…集中していればこれくらいはな…」
 …そうか…さっきまで翼は霊光弾に耐えられなかったのに、今は男が力を集中しているから何とか耐えているのだ…
 それだけ男に負担がかかっているのだろう…
 もし…男が力尽きたりしたら…
 あたしの頬に冷たい汗が滴る。
「あたしが帰れれば…」
 あたしが帰れれば、男はあたしの事を気にせずに戦うなり、逃げるなりが出来るのだ…
「どうやったら帰れるの?」
 あたしは冷静になって言った。
「…………」
 男は無言で意識を翼に集中している。
 とても答えられる状況じゃ無さそうね…
「…方法は幾つかある…」
 男はうめくような口調で答えた。
「どんな方法?」
「…用はあんたが意識を失いかけるほど驚けば良いんだ…」
 ……驚く……
「って…あたしはさっきから命の危険に晒されまくって驚きまくっているんだけど…」
「それでもこの世界からあんたが離れられないのは、よっぽど神経が図太いか…別の理由かもな…」
 苦しそうになりながらも答える男。
 図太いという言葉にあたしは多少こめかみが引きつったが、男の話を折るわけにもいかず、無視する事にする。
 ……後で覚えてろ……
「…なんとかあんたを驚かせられれば…」
 そこで男は何かを思い付いたようだが、とたんに声の調子を落として言葉を紡ぐ。
「…方法はある…俺のポリシーに反するけど…」
「……あなたのポリシーっていうのは当てにならなさそうだけど…どんな方法?」
「それを言ったら効果が無い…どうする?」
 ……どうするって言われても……
 ここで断れば少なくともあたしには帰る手が無い…
 帰る手が無いという事は…あたしはこの訳の分からないところで、この男と心中する羽目になる…
 それだけは絶対にいやだ!
 …といってもこの男の考えた方法って言うのも非常に怪しい…
 そもそも、その方法というのがこの状況よりも驚かす方法…ということに他ならない。
 あたしは少しの間、頭をひねらせていた。
「ぐっ…」
 男はその間も歯を食いしばりながら、攻撃に耐えている。
「わっ、分かったわ! あなたの案…なんだか分からないけど採用しようじゃないの!」
 その苦しげな表情を見てあたしは思わず返事を返す。
「悪いな…取りあえず痛みは無いはずだから大丈夫だと思う…覚悟は…しなくていい。効果が薄れるから…」
 そう呟いた瞬間、外から間断無く響いていた音が唐突に消えた。
「チャンスだ! 美琴の攻撃が止んだ!」
「どうして?」
「さすがに短時間でこうも連発すれば、力を放出しすぎて霊光弾が発生しなくなる」
 男は閉じていた翼を広げる。
 その直ぐ前には、美琴が空に浮かんでいた。
 表情から別に疲れた様子は感じ取れないが、霊光弾と化していたはずの赤い糸が美琴の手の中に収まっていた。
 ……チャンスは良いんだけど……
 あたしは、未だに見えない男の作戦に不安を覚えている。
「おい!」
「えっ?」
 あたしは、男に呼ばれて振り向いた。
 あたしは…
 この時、目の前にいる男が何をしようとするのかをキチンと考えるべきだった…
 男があたしの顔を見据えた次の瞬間…男の顔があたしの直ぐ前にあった。
「えっ…?」
 何の前触れも無い事だったのであたしはその事が直ぐには理解できなかった。
 自分の唇に違和感を感じた瞬間…あたしの意識は真っ白な空間へと放り投げられた…
                 ☆
「はわわわぁぁぁぁぁぁーーーーー!?」
 あたしは自分の上に在った白い何かを跳ね除けてその場から飛び起きた。
「はあはあは…」
 息が荒い…
 と言うか苦しい…
 あまりの出来事にあたしは息をするのも止めてしまったらしい…
 ……って……
 ここ何処?
 あたしは自分の姿を見てみる。
 服装は先ほどの通りパジャマ姿のまま、だけど…
 視線を正面に向けてから首をゆっくりと左右に振った。
「あたしの部屋…?」
 そこは夜の町の上空ではなくあたしの部屋だった…
 あたしの頭が先程まであったであろう、枕の横には寝る前に眺めていた星空の写真が多く載った本が転がってる。
 ベットの下にはあたしが先程跳ね飛ばした物……羽毛の掛け布団がずり落ちていた。
 ……間違いなくあたしの部屋だ……
 ……という事は……
「って、夢オチかい!」
 天井に向かって誰とも無く突っ込みを入れるあたし。
 まあ、夢で良…くない!
「夢とは言え、あたしの…純粋可憐なる乙女のファーストキスを奪うなど言語道断! この次あったら首を絞めるどころじゃ済まさないぃぃ!!」
 夢にこの次があるかどうかは知らないけど……
 それにしても……
「みょーにリアリティに溢れた夢だったわね…」
 思わず溜め息が出るあたし。
 夢を見て疲れるなんてはじめてだ。
 大体、夢を見てもすぐに内容を忘れてしまう事が多いのに、今日の夢は全部覚えている。
 最後の部分は記憶から抹殺したいけど……
「まあ、夢で良かったという事にしておきましょう…」
 あたしはそう呟いてから、ベットから落ちていた掛け布団を引っ張り上げると、再度眠りに就こうとした……
 ? …辺りがやけに明るいような気がするんだけど……
 あたしは、ベットの横にある机の上の時計を手に取る。
 その針の位置は、長い方が12、短い方が8……
 ………………
「ぐあはっ!? ち、遅刻するぅ〜!!」
 あたしは、掛けたばかりの布団を跳ね上げるとベットから飛び降りた。
 今日も慌ただしく普通の日常が流れ始める……

第1話 完

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