Logical Blade
 〜神の刃を持つ天使〜

 第四話 澄み渡る空への詩、涼やかに鳴り響く音

風野 旅人

 JCN本社ビルから20分ほど、市街地からそして幹線道路からも外れた住宅街に修ー郎の住む家はある。

 駅の近くのスーパーで買い物を済ませた修ー郎は、いつもなら立ち寄る本屋にも寄らず真っ直ぐに家に帰ってきた。

 車を家の裏手にあるガレージに納めると、助手席に置いてあった白い買い物袋を手に提げ、車を降りる。

 ガレージから外に出ると、夕闇に照らされた庭の木々を横目に玄関へ歩いて行く。

 居間、洋間が二つ、和室にキッチンと風呂場の平屋建て、そして程よい広さの庭…一人暮らしでは広すぎる大きさのこの家に修ー郎は一人で住んでいる。

 正確に言えば、もう一人居るのだが…

 玄関の前で修ー郎は、ズボンのポケットから玄関の鍵を探り出す。

 ポケットから取り出した鍵を手のひらに載ると、修ー郎は一瞬鍵に視線を止めたままになる。

(この鍵を使い始めてからも…一年になるのか…)

 先程、会社で老人が呟いた言葉が修ー郎の頭に蘇る。

『…そしてあれから一年か…』

(もう、そんなになるんだな…)

 鍵を見たまましんみりとした表情を浮かべたまま立ち尽くす修ー郎。

(つい最近のことに思える…この一年短かったよな…)


   キーン…


 その時、修一郎の頭の中で何かが響いた。

 氷とガラスのコップが触れ合ったような…美しい音色を響かせるベルのような…この世ものとは思えないほど涼やかな音だった。

「え!?」

 修一郎は、はっとなってあたりを見回すが、今のような美しい音を出すようなものは見当たらなかった。

(以前にも、こんなことがあった気がするけど…)

 修一郎は気を取り直して、手にしていた鍵で玄関のドアを開ける。

 玄関のドアをくぐり、靴を脱ぐと直ぐ近くのドアが目に止まる。

 そのドアを見たまま、溜め息を思わず吐いてしまう修ー郎。

(…さて…)

 そのドアから視線を外した修ー郎は玄関から上がり、自室に向かう。

 修ー郎は、元々洋間だった部屋を自室として使用している。

 10畳ほどの広さの部屋には、少し大き目の本棚が一つと、机があるだけで後は綺麗に片付いている。

 一人暮らしの男の部屋とは思えないほどに…

 修ー郎にとって自室とは寝るだけの部屋なのである。

 修ー郎は着ていた背広をハンガーに掛けると、いつもの普段着に着替え始める。

「…少しは反省してるんだろうな…」

 ぽつりと呟くと、着替えの終わった修ー郎は部屋を出ていった。



「はあ…」

 こちらでは、詩音が顔を曇らせ溜息を吐いている。

 周りは暗く、何かのファンの音だけがその場にあった。

「…今回は失敗しちゃったわね…」

 失敗とは昼間の防壁玉砕ことである。

「修ー郎さんには迷惑掛けちゃったし…そんなに怒ってないとは思うけど…」

 その時、詩音の目の前の扉から光が漏れる。

「あっ…」

 そのドアの先から顔を出したのは自室で着替えていた修ー郎であった。

 修ー郎はドアの横手にあるスイッチを入れ、その部屋に明かりを灯す。

 その光に照らされて、整然と並ぶディスプレイといくつかの端末が姿を見せる。

「…おかえりなさい…修ー郎さん」

 修ー郎の表情を見て引きつった笑いを浮べている詩音が出迎えた。

 ただし、整然と並べられたディスプレイ一つの中からである。

 詩音=ラグナフィード。

 一応これでも、最先端技術を投入された超AIシステム・シオンとセキュリティーガードシステム・ラグナフィードを持ったセキュリティガーディアンである。

 主な目的は、依頼先のシステムをガードすることで、本業を別に持つ修ー郎の代わりに依頼をこなしている。

 思考システムは人間に近いというより、人間そのものといってもおかしくないほど豊かな感情表現が出来る。

 さらにこうやって人とのコミュニケーションを取るためにCGとして画面で再現されている。

「……ただいま…」

 その引きつった笑いを正面に見据えながら近くにあった椅子に腰を下ろす修ー郎。

「…さて詩音?」

 修ー郎は声のトーンを少し落しながら詩音を呼ぶ。

「はっ、はい!」

 呼ばれた詩音の表情は露骨にギクッとした顔に変わる。

「今日の昼間はまあ派手にやらかしたじゃないか?」

 修ー郎の顔には笑みが浮んでいるのだが、目はきっちし笑っていない。

「…い、いやですね、ちょっぴり壊しちゃっただけじゃないですか…」

 更に顔を引きつらせる詩音。

「ほほう…ちょっぴりね…最終防壁粉砕、機密データ一時露呈、さらに俺に助けを求めてきた…と、ほんとにちょっぴりだねぇ…」

「ははははははははは」

 乾いた笑い響かせる詩音。

「………」

 修ー郎は仏頂面のまま無言で乾いた笑いを響かせ続ける詩音を見ている。

「…ごめんなさい…」

 といって頭を下げる詩音。

「よろしい」

 うなだれた詩音に顔を和らげる修ー郎。

「とりあえず依頼は完了したし、データ露呈といっても防壁が壊れただけで、実際にはデータの盗難は防げたんだから問題はないだろう」

「はい…」

 詩音は顔を上げ、溜め息のような返事を返した。

「それより、あれほどPEを使うなって言ったよね…?」


 ぎぃっくぅ!!


 修一郎の言葉にまたも顔をひきつらせる詩音。

「…ば、ばれてました?」

 その言葉に今度は修一郎の方が溜息を吐く。

「当たり前だろう…あんな身も蓋もなく防壁ごとワームを撃破するツールなんて君が持っているものの中じゃあれくらいだ。」

 修一郎が目の前にある端末のキーボードを叩くと、画面上に黒い玉が現れる。

 それは、先ほど詩音がワームと呼ばれるものを倒したときに使用したもの…PEだ。

 PE…Program Ereser ひねりも何もない真っ正直なネーミングだが、決して”ぺ”とは呼んではいけないらしい。

 威力は詩音が持つ武器の中でもかなり強いものである。

 ただし、欠点が多く、普段は使用する場面が少ない。

 まず、相手に密着させないと効果がないこと…つまり効果範囲が非常に狭いのだ。

 そのため自ずと超接近戦になってしまう。

 また、詩音が合図を送らないと起動しない。

 そして、なによりもこの武器の使用を躊躇わせる最大の欠点は…

「ワームに隣接しているシステムごと破壊しかねないこと…」

 詩音はばつが悪そうにつぶやいた。

 先程の通り、効果範囲が狭い代わりに無体に破壊力が強いので場合によってはワームごと隣接する防壁までも破壊してしまうこともあるのだ。

「…というか、詩音が使うとほぼ確実に防壁ごと壊している…」

 仏頂顔でつぶやく修一郎。

「わざとじゃありませんよぉ〜、たまたま…たまたまですよ〜」

 瞳を潤ませながら悲しげにいう詩音。

「…たまたまねぇ〜…。たまたまで5回連続になる訳ね。君は…」

 和らげていた口調を元に戻し、冷たく言い放つ修一郎。

「5回連続…!? そ、そんなにありましたっけ…?」

 詩音はとぼけるが、その頬には冷たいものが流れている。

「確かに連続5回は初めてだけど…、使用回数は20を越えているけどね…」

 更に追い討ちをかけるように呟く修ー郎。

「あはははははは…、そんなにありましたっけ…」

 修ー郎は詩音の乾いた笑いを聞きながら溜め息を吐いた。

(…どーしてこんな性格になったんだ? 一体誰に似たんだろう…)

 心の中で首を傾げる修ー郎。

(…あいつ…じゃないな…この性格は…)

「どうかしました?」

 難しそうな顔になった修ー郎に、笑うのを止めて声を掛ける詩音。

「いや…別に…」

 修ー郎は微かに首を横に振る。

 その様子に詩音は?を顔に浮かべながら首を傾げている。

 しかし何か思い出したのか、手をぽんと叩く詩音。

「あっそういえば、今回の依頼料もう支払われていましたよ。」

 詩音は自分が映し出されている画面に銀行のウィンドウを開きながらいう。

 そこには今回の依頼先の名前と入金額が表示されている。

「…ほう…よく依頼料が支払ってもらえたな…」

 にやにやとした顔でいう修一郎。

「これ以上いじめないでくださいよ〜」

 詩音はわざとらしく瞳を潤ませながら訴える。

「それよりも、今回は修一郎さんの取り分もあるんですから〜…いくら振り込めばいいですか?」

 ぱっと潤んだ表情を消し、笑顔を覗かせる詩音。

 いつも依頼料は詩音が自分で持っている口座に振り込まれている。

 その言葉に修一郎は、先ほどよりも大きく首を振る。

「別にいらないよ。いつも言っているだろう、ガードの仕事で手に入れたお金は君の維持費。 普通に会社勤めをしている俺が君から金をもらう必要は無いよ。」

 詩音のシステムはこの部屋とは別にある大型のコンピュータで制御している。

 それらの本体そのもの電気代・空調機の電気代・一般家庭では導入不可能な超広帯域のネットワーク回線使用料…

 …となれば確かに維持費はかかりそうであるが…

「でも、その程度の費用なら月に一回のガード依頼料もらえればほとんどペイしちゃうじゃないですか…」

 詩音はため息混じりにつぶやく。

(どうして、修一郎さんはガードの仕事で手に入れたお金をほしがらないんだろう…)

 特に今回はミスをして防壁を破壊した詩音を助けて、さらには破壊されたネットワークの仮再構築もしている。

 仕事の量から言っても5:5いや、8:2と言われても笑って渡せる…と詩音は思っていた。

 しかし、毎回の事ながら拒否された。

 そしてそのたびに首を傾げる事になる詩音。

 最初の頃は、依頼料は修一郎の口座に振り込まれていたが、不思議なことに修一郎はそれに一切手を付けた事は無かった。

 そして、しばらくすると詩音用に別に口座を設けてそこに依頼先から直接入金させるようになった。

 そのときも詩音は首を傾げたが、修一郎は何も言うことはなかった。

 そして、毎月の光熱費+回線費は詩音の口座から支払われているが、払っているのは詩音が動いているコンピュータルームの電気使用料と詩音用の別回線の費用だけ…

 修一郎は自分で使用している電気と回線費は別にして、自分で払っているのである。

 そこまで徹底している理由は今持って詩音には理解できなかった。

「…ところで、今回捕獲したワームはどうした?」

 画面上で難しそうな表情となった詩音の思考を遮るように修一郎が声を発する。

「あっ…、はいはい、ここにありますよ。」

 と言って自分の懐の中から白い巾着袋を取り出した。

 それを左手に持つと、右手でぱちんっと指を鳴らした。

 そうすると左手にあった巾着袋が一瞬淡く光り、中に入っている何かがもぞもぞと動き出した。

「どうです? 今回のネタも生きがいいですよ〜」

 巾着袋を顔の真横に吊しながら言う詩音。

「…魚屋じゃないんだから…」

 嬉々として言う詩音にため息をつきながら、修一郎は別の端末の前に移動し、電源スイッチに手を伸ばす。

「それにしても今回のワーム手強かったですよ。まあ、強かったと言うよりもしつこかった…と言う方が正確ですけど…」

 手にした巾着袋を揺らしながら呟く詩音。

「ラグナフィードで斬ったら、分裂しましたしね…」

 ラグナフィードという名前は、詩音が使用している攻撃プログラムの総称で、PE等もこれに含まれているのだが、もっぱら詩音は剣の姿を取っているプログラムを指している。

 修一郎は新たに電源を入れた端末の前に座りながら盛んにキーを叩いている。

「ちょとまってろ。解析用のシステムを立ち上げるから。」

 修一郎がぽんっとリターンキーを叩くと、接続完了のメッセージが詩音が表示されているモニターに表示された。

 その後ろには何故かダストシュートの扉が表示されていたりするが…

 正面のディスプレイを見たままの修ー郎はそれに気がついた様子はない。

「接続終了。いつものように中身をそのままこっちのマシンに転送しておいて。」

「はい、はい」

 巾着袋を手に持ったままダストシュートに近づくと取っ手を引き上げて、扉を開ける。

「えいっ」

 そしてその巾着袋をその中に放り投げる。

 ひゅー…という音を立ててそれはその中に落ちていた。

 音がやんだ後、修一郎の目の前の端末のモニターに転送終了のメッセージが表示されている。

 転送終了のメッセージが消えると、ダストシュートの排出口とゴミ収集車が表示されている…

「へ?」

 思わず間の抜けた声を上げてしまう修ー郎。

 巾着袋は、ダストシュートから飛び出るとそのままゴミ収集車に乗せられて行く…

 ちなみに車の横には「侵入プログラム解析所行き」などとご丁寧に書かれていたりする。

「………」

 それを見て何故か沈黙している修一郎。

「…どうかしました? 修一郎さん?」

 首を傾げている詩音に修一郎が呟くように言う。

「…このアニメーション効果の意味は?」

 モニターを指さしながら修一郎は言う。

「あ、いつも単に転送終了って表示(でる)だけだと味気ないので、変えてみたんですけど…」

 あっけらかんという詩音。

 その言葉に脱力したように机に突っ伏す修一郎。

「…ああ、分かった…」

(近頃本当に人間らしくなってきた…と言うより変な奴になってきたような気がする…)

 やや、呆然とした表情で頭の片隅で呟く修一郎。

 詩音はさらに首を傾げていたりするがあえて無視し、修一郎は気を取り直してキーを叩き出す。

「…どれ…これは1年くらい前に流行ったワーム、その名もズバリ『スライム』だな。」

 画面に表示された文字を読みとりながらいう修一郎。

「でも、『スライム』ってしつこい割に、あんまり早くなかったじゃないですか…確かその名前の由来だって遅いけどしつこいっていうので付けられた筈って聞いてますけど…」

「ああ、もちろんそのままじゃない。こいつの作者、ワームばらまいた後ソースコードもばらまいていたからな…それを見て改良した奴がいるんだろう。実際…」

 修一郎は画面を切り替えてワームの中身のコード(当然機械語だが)をダンプする。

 そして別にウィンドウを開いて別のプログラムのコードを表示する。

「今回捕獲したワームは機能が少し削除されている…削除したのはセキュリティガードシステム回避ルーチンだな…」

 二つのウィンドウを見比べながら修一郎が言う。

 二つ目に表示されているのは以前の『スライム』のコードのようである。

「…そーいえばこいつ、ワームの割には堂々と正面切ってわたしに向かって来ましたものね…」

 納得顔で頷く詩音。

 元々、今時のワームには侵入検知システムをかいくぐるためのルーチンが組み込まれていることが多い。

 ところが、このワームはそのルーチンを削除することにより、身軽にしていたのだった。

「確かに、侵入検知システムを騙すルーチンは重いし、面倒が多い割にあんまり役に立っていないことも多いから…って!」

 そこまで言ったところで修一郎は手を止めた。

「…ちょっと待て!? そういえば以前『スライム』を倒したことあったよね…」

「…はい…そうですけど…」

 返事を返す詩音。

「…そのときも分離されて酷い目に遭ったんじゃなかったか?」

「…そういえばそんなこともあったような…」

 修一郎の言いたいことがわかってたじろぐ詩音。

「何でまた、ラグナフィードで斬るかな…君は…」

「…いや…向かってきたもので、ついばっさり…」

 またしても、ひきつった笑いを浮かべなくてはならなくなる詩音。

「……………」

 もはや何も言うまいと言う表情となって修一郎は、接続解除の命令を端末に送る。

「…とりあえずこのワームの解析は終了。回線を切っておいたから…」

 それだけ呟くと、修一郎は立ち上がり部屋を出て行く。

「…はあ…ご苦労様でした。」

 詩音の言葉を聞き終わる前に修一郎は部屋を出ていってしまう。

 ばたんっという音を立てて扉が閉まると詩音のみがその場に取り残される。

 そして、明かりが落ちる。

 暗い部屋ををモニターの中から詩音が闇に包まれた部屋を見渡した。

 正確にはモニターの横にあったカメラが首を振っている。

「…今回はちょっと失敗続きだった…」

 自重気味に呟く詩音。

「…今日はもう休もっと…」

 詩音の呟きが消えると同時に、ディスプレイの電源が落ち、その場が再び闇に閉ざされる。

 後はファンの音のみがこの部屋を覆い尽くすのみ…




「SAISシオン…詩音か…」

 ただ一人台所に立つ修ー郎は、手にしていたコップをテーブルの上に置くと椅子によりかかった。

「もう一年になるって言うのにまだなれていないな…」

 天井を見上げる修ー郎。

「あいつは…いや、あいつらは一体俺に何をさせたいんだ…」

  もう、終わってしまったじゃないか…

   終わってしまったことにいつまでもこだわっている訳にいかない…

    こだわっていたら前に進めないから…

「もう疲れたから、休ませてくれよ…」

 誰とも無く、本当に疲れたように呟く修ー郎。

 その目は天井もそこに備え付けられた明かりすらも映していなかった。

 しばらくそのままぼんやりとしていた修ー郎だったが、コップを流しに置くとそのまま部屋に戻って行く。

 その日、修ー郎が部屋から出ることはなかった。


第四話 完


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