|
第三話 折れた翼
風野 旅人
復活した防壁の前に先程の黒髪の少女・詩音が立っている。 助け・修一郎の力により防壁が修復され、防壁の代わりをする必要のなくなった詩音はもとの姿に戻り、修復された防壁を眺めていた。 「さすが私のご主人、手際がいいわ。」 詩音はしきりに感心しながら、手にしている大剣で防壁を突っついてみる。 修一郎により修復された防壁は、詩音の大剣でも傷一つ付かない。 先程、詩音が壊した最終防壁よりもかなり強化されていた。 「並みの防壁だったらこの剣が触れた途端、大穴が空くでしょうね…」 無論、詩音が本気で防壁を破壊しようとすれば、外から修一郎がサポートでもしていない限り、豆腐を潰すように簡単に破壊することができるだろうが。 この防壁をもっと強固にするには、システムをハード面ソフト面の両面において、一から作り直さなければならないだろう。 「とりあえず、ワームは退治したし、ワームが残した卵も回収したし、これで大丈夫でしょう。」 (ちょっぴり、壊しちゃったけど…) 心の中で舌を出す詩音。 一番強固で、一番重要だった最終防壁 「依頼完了(おしごとおしまい)、はやくかえろっと」 詩音は手にしていた剣を背中の鞘に収めると、鼻歌混じりで外に向かって歩き出す。 その前に立ちはだかる九つの防壁を、詩音は何の障害もなく一つ一つ潜りぬけて行く。 大抵防壁というものは外からは入りづらいが、中から外へはそれほど出て行くのには苦労しない。 ただ、ろくに考えもせずに繋いであるとそこを やがて、詩音は外のネットワーク・グローバルネットに入ると、目的の場所へと向かって再度歩みを進め始めた。 ★ ちゃ〜らら〜ちゃちゃちゃ〜… 修一郎がいるフロアに静かに音楽が流れ始めた。 この音楽をもって修ー郎の今日の仕事は終わりである。 「さて、こっちも終了だな。柿崎にメールでも送っておくか」 修一郎は、先ほどの依頼先を書いたメールを業務部にいる柿崎に送りつける。 −柿崎悠−修ー郎と同じ年に入社した社員であり、修ー郎とは昔から知り合いでもあった。 知り合いと言ってもネットワーク上で何度かやり取りをした程度で、直接会うのはこの会社に入ってからであった。 修一郎と知り合ったのは高校の時であるが、学生時代にいったん音沙汰がなくなっていた。 その頃から既に柿崎は、ネットワーク上では優秀なセキュリティガードとして知られていた。 そして今は、この会社の第一業務部にいる。 配属が業務部になっているが、実際にはセキュリティの甘いサイトを見つけだし、そこに新規システムの納入話を持ちかける半ばクラッカーまがいの仕事をしている。 このご時世ではこのようなことが公然と行われている。 もちろん、これには国家的に認められた会社以外は行えないし、もとより企業より依頼がない限り行えないという規則は当然あるが。 数年前に警視庁はサイバーテロに対する備えとして民間会社でもネットワークのパトロールを行うとができるよう国に働きかけた。 そこで、誕生したのがこの会社JCN−日本コミュニケーションネットワーク社−であった。 もっとも正確には、元々コンピュータソフト関連の会社からの転身だったので、会社的には古い会社ではある。 法制度ができてから今の形になった。 「さてと…俺も家に帰るかな…」 修一郎は端末の電源を落とすと席をたつ。 「秋野、今日は早いな。」 自分の端末に目を落としていた小金井が声をかけた。 何時のもの修ー郎なら定時に帰る事が希なのである。 「ええ、今日はちょっと用事がありまして…」 「そうか…お疲れさん。」 そういって小金井は端末に視線を戻した。 「お先に失礼します。」 修一郎はフロアから出て行く。 フロアから出てビルの通路を歩く修一郎は足を止め、通路の窓の外を見上げた。 空は雲一つなく澄み切っており、まだ冷たい冬の気配を残している。 (…もうすぐ春か…) 窓の外には桜の木が見える。 まだそのつぼみには花咲く気配は感じられない。 季節は四月に入ろうかという時だが、例年になく遅咲きのようである。 まもなく、修一郎にとって入社1年目が終わろうとしている。 (そして…あれから…もう二年になるんだな…) 修一郎の顔が微かに陰る… そう…誰にも気付かれないほど微かに… ピィーッ、ピィーッ、ピィーッ! ぼんやりと窓の外を見ていた修一郎の思考を遮るように電子音が通路に鳴り響く。 「誰だろう?」 我に返った修一郎は胸のポケットを探り、電話を手に取る。 「はい、秋野です。」 「…お久しぶりです…」 「はい、分かりました…今からそちらに参ります。」 修一郎は手に持っていた電話をしまい、エレベータホールへ向かう。 そして、降りる予定だったエレベータを上に向けた。 ★ コンッコンッ… 「秋野です。」 修一郎はドアをたたきながら名を名乗った。 「入りなさい。」 ドアの向こうから男の声が帰ってくる。 「失礼します。」 修一郎はドアを開け部屋の中に入る。 その部屋の中は数々の調度品並んでいた。 窓際の大きな机に80歳をとうに越えたような老人が座っていた。 「久しぶりだね。修一郎君」 その老人は入ってきた修一郎に笑みを見せると、近くにくるように手招きする。 「はい…以前お会いしたのは、半年ほど前でしょうか…」 「半年か…そしてあれから一年…」 しみじみと呟くその老人は椅子を回転させ窓の方をむいた。 「もうそんなになるんじゃのう…」 老人の眼下には、静かに町並みが広がっている。 だが、老人の目には別の何かが映っているようだ。 「調子はどうかね?」 「おかげさまで、順調です…」 机の前まで来た修ー郎は静かに返事を返した。 「そうか…」 老人はため息交じりに呟く。 「ところで、今日は何の御用ですか?」 「いや…特に用が有った訳ではないがのう…久しぶりにここに来たから顔が見たくなってのう…」 老人は苦笑して椅子を修ー郎の方に向ける。 「お忙しいあなたが、私などに会っている余裕はないのでは?」 そう呟いた修ー郎に老人は、 「わしは、仕事のために家族やその友人をないがしろにしてまで生きていたくはないんじゃよ…」 という。 修ー郎には何か思い当たる事があったのか、その言葉を聞いた修ー郎の顔が歪んだ。 「その言葉、身にしみります…」 「ところで…うちの奴とは暫く会っていないのかね?」 老人は話題を変えて尋ねてくる。 「ええ、あなたと最後にお会いしてから会っていないと思います。」 修ー郎は ”うちの奴”の顔を思い浮かべ、いつもの表情に戻った。 「君に会えなくて寂しがっておった。今度君のところに遊びに行くかもしれないからよろしく頼むよ。」 「…はい…それではそろそろ失礼します…」 修ー郎はその場で礼をする。 その言葉に老人は頷くのを確認すると、修ー郎は机に背を向けた。 「…修ー郎君…」 老人は部屋を退出しようとしている修ー郎の背に言葉をかける。 「いつまでも過去に捕われ続けている訳にはいかぬだろうよ…君ならその鎖をほどけると信じているよ…」 その言葉に修ー郎は、 「失礼します。」 とだけいい、逃げるように部屋を出て行く。 一人部屋に残された老人は、自虐の笑みを浮かべながら窓の方を再び向いた。 「…口で言うのは簡単か…若者にこの程度の言葉しかかけられぬとは、何のために年を食っているのか…」 老人の目の端には、小さく涙のしずくが溜まっていた… ★ 「結構時間が経っちゃったな…」 修ー郎は腕にはめている時計を見ながらビルの地下駐車場を歩いていた。 修ー郎の顔からは、先ほどの部屋での沈んだ表情は影を潜めていた。 (まさか、あの人に呼ばれるとは思わなかったからな…) 修ー郎は自分の車の場所まで来ると、キーをポケットから取り出しドアに差し込んだ。 「さて、夕飯の材料でも買って帰るか…」 修ー郎は車を駐車場から出すと、市街地に向かって車を走らせる。 (…いつまでも過去に捕われている訳にはいかないか…) 流れる景色を横にしながら、修ー郎は老人の言葉を思い出していた。 (そうか…やっぱり周りからはそう見られていたんだろうな…) 過去に捕われていること、その為に歩みを止めてしまっている自分がここにいる事。 それは自分でも薄々分かっていた事であった。 修ー郎はそれを人に言われる事により深く認識する事になった。 (今は…こうしているしかないんだよ…今は…) 後ろへ流れる景色を見ながら修ー郎は車を走らせた… 第三話 完 |